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時間旅行 千二百箇月の過去とかんずる方角から〜

何かを集めたり記録するのではなく、自分なりの表現がしたいと思い、いろいろ手を染めてみたはよいが挫折の連続だった

ギターはなかなか上手くならず、それでも場所を借りて人を集めて歌ったこともあったが、アドレナリンもドーパミンも何にも出ない、一瞬たりとも自己陶酔することができない、ただ恥ずかしくてたまらないので逃げ出すようにバンドはやめた

焼き物はいずれ趣味と実益を兼ねるはずだったが、どうにかろくろは回せてもつくりたいものが何も浮かばない、何かに打ち込んでいるオレがやはり恥ずかしくてやめた

子どものころのトラウマをなんとか払拭して、絵を描こうと思って道具を買ったこともあったが、目と脳がまったく連動せず、紙の上で手が止まったまま動かないので描くにさえ至らずやめた

代わりに写真は撮り続けている、撮るだけなら誰でもできるからだ

高級コンパクトカメラの時代、一眼レフカメラの時代を経て、スマホ一強の時代が続く

たまに写真展を観ては、作家の技量と精神に学ばんとするも虚しく、キュレーターの熱量にも圧倒されることがある

この企画などは牽強付会もよいところで、宮沢賢治と写真とのつながりはギミックに過ぎず、警察や検察の作文のごとく巧みに仕組まれたものだ

つなぐという点ではDJにも似ている

自分の好きなことを都合よく勝手に結びつけて観る側を気持ちよくさせる

作家と作品あっての展示ではあるが、誰がつないで回すかによって見せ方も見え方もおのずと変わっていく

写真には写らない学芸員の力にもっと光を当てるべきだとこの日も思った













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