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94歳のゲイ〜男に生まれること男であること男になること


男に生まれるのではなく男になるのだであり、生物学上や性的に男であることの価値や意味は年々低下、男らしく、男前、男伊達といった古来の概念は風化、耐え難きを耐え自ら進んで女性から男になる人だけが真の男、男の中の男となり、唯一のよりどころである生殖機能もいずれAIにとって代わられ、ただ単に男でしかない男はこの地上から放逐されるてな企画をたとえばカリスマスキじゃないカウリスマキ監督とかで映画化希望などと妄想しながら、亡き父と同い年生まれのゲイの老人を見つめていた

産めよ殖やせよの単調な時代、自分がいったい何者であるのか断じて表明できないどころか、カテゴライズもタグ付けも不能なはなから透明な存在である虛しさは如何ばかりであったかと思い、私の父親は同じ時間をどう生きていたのか、性とどのように向き合っていたのかなどほとんど何も知らぬことに改めて気づいた

とはいえ、政権与党のごとくなんとなく多数派であるだけのただの男には、老人の艱難スタイルを身体で理解することはできない  

反射的な共感、同情、敬意が偽善、欺瞞にすぎぬとすれば、ますます男をめぐる趨勢から取り残されていくのだろう

九十いくつまで生きながらえて男の未来像を目撃したいかどうかだ

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