魂にゴミがついていると言われた話
バンドがやりたくて、27歳で初弦楽器ながら
エレキベースを始めた。
その後いろいろあってウッドベースに転向したが
趣味ながら今もベースは弾いている。
これは、ウッドベースに転向するちょっと前くらい、
16、7年くらい?前の話。
もっとリズム感が良くなりたい!と思った私は、
プロのドラマーが個人で教えている
リズムレッスンに通うことにした。
確かネットでHPで見つけたんだと思う。
中央線のとある駅から10分の
防音室つきのご自宅に
月に2回くらいのペースで通っていた。
レッスン内容は基本的に、
クリック音を流しながら
手を叩き、足を踏み、
提示されたリズムを自分でも鳴らす。
2年目にもなると、多少複雑なリズムが
手と足で繰り出せるようになり
実感はできないけれど
何かは積み重ねられている感じはしていた。
それでもグルーヴなんて程遠く
いつまでやったらリズム感よし!に
なれるんだろな?と考え始めた
2年目の終わり頃。
突然、先生が言った。
「リズム感が悪いのはね、魂にゴミが付いているからなんだ」
顔や手が汚れていれば洗う方法はわかる。
しかし、魂と言われては、
どのようにゴミがついてしまったのか?
どんなゴミがついているのか?
どうやったらゴミが取れるのか?
さっぱり見当がつかなかった。
困惑した顔の私に、先生は続けた。
「僕はね、ゴミが付いているのが見えるだけなんだ。
取ることはできない」
「でも」
「取ることができる人を知っていてね、紹介することができるんだ。
6万円でね」
「キターーーー!」と思った。
これは、昔からよく言うあの
「壺を売りつける」っていうあの手のヤツ!
ど、どうやって断って帰る!?
なにしろ、先生のお宅の防音室の中で
先生と私ふたりで差し向かいの
マンツーマンレッスンなう!である。
先生は続けた。
「こないだも2人、生徒を紹介したんだよ。
他でも学校で教えていて、そこの生徒にね。」
「その生徒は、リズム感が良くなったんですか?」
それが一番聞きたいところだったが、
興味があると思われても困る。
ここはなんとか穏便に、無事に帰らなければ!
たぶん警戒感が私の全身から出ていたのであろう。
「こういうチャンスをつかむかつかまないかも
その人の運だから」
というようなことを言って、
それきり深追いはされずじまいだった。
6万円という値段を聞いた時。
実は、なんて素晴らしい値段設定なのだろうと
一瞬、感動すら覚えた自分がいた。
プロのもとにまで習いにくる、という
上達したいと願っている生徒。
習いにくるということは
お金がそこそこ捻出できるということだ。
魂のゴミを取ってもらってしまった生徒もそう。
学校行くくらいだから、たぶんプロ志望。
学生であるからこそ、お金がなくても
上手くなりたいというところには
お金を捻出しようとするはず。
もし、10万とか言われたとしたら
それは、私たちのような人は
無理、と即答できる値段である。
誰かに借りようとして理由を言っても、
10人中10人が「そんなの騙されてる!」と
忠告して貸してくれないだろう。
親が絡めば警察沙汰になってもおかしくない。
しかし、6万円である。
これはお金に余裕がない人でも
自分の意思だけで、誰にも相談することなく
ちょっと思い切って投資できる額の、
ギリギリ上限なのだ。
うまい!うますぎる!
学生であっても、少し節約したり
バイトでもすれば、
そして分割してもらえば
半年くらいで払えてしまう。
そんな絶妙な金額設定に、
心の中で感嘆の声を上げてしまったのだった。
これは誰に聞かなくても、100%ダマシである。
はずなのだがしかし!
実は、このレッスンの何回か前から
いつも私が座るところの背後に
何やら神棚風のものが置かれるようになったり。。。
先生がレッスン中何かをずっと
手にしていて
よくよく見ると
ヴァジュラ(密教の法具)だったり。。。
そして、そのことが起きる前だったか後だったか、
携帯の画面から何か出てるとか
出てないとかの話をし
携帯にこれをやると
見た感じが変わるから!
と、私の携帯に向かって
ヴァジュラを持って
なにかお祓いのような仕草をして
返してくれたのだが。。。
いや、さっぱり何が変わったのか
わからなくてさw
まぁということで
妙な予兆はあったというか、
何かに傾倒してて、本気で魂にゴミを
信じている可能性というのもあったのだ。
それにしても、リズム感という、
どうやれば、そしてどうなれば
上達した、上手くなったというのが
非常に言いづらい、判断しづらいものに対し
「魂にゴミがついている」からという
理由を持ってくるあたりは、
ズルいなーとも思った。
嘘だとしても、
ここでゴミを取ってもらわずに
今後どこかで演奏中
リズム感が悪くてどうしようもない、
なんてことがあったとしたら
もしかしたら、やっぱりゴミがついてるのは
本当だったのかも?と
思ってしまうに違いないじゃない?
もしも魂からゴミを取ってもらったとして、
どうやってリズム感がよくなったことを
証明するのだろう?
もしかしたら、というか、間違いなく
「まだ一回ではゴミが取りきれない」
ということになるんだろうなぁ〜。
嘘だと思いながらも、どこかでは
それによって抜群にリズム感良くなった自分
という妄想もちらりと頭をかすめる。
また、嘘だと思うからこそ
本当はどうなるのか?どんなものなのか?を
話のネタとして体験してみたい、という
気持ちにもなった。
ネタとして払うとしても
6万円なら出してもいいかな?と
ちらっと思う、それほど
絶妙な値段設定である。
また、嘘と言い切れないところもある。
偽の薬でも効いてしまうプラシーボ効果のように
ゴミを取ってもらった!という思い込みで
何かのメンタルの枠が外れ
自由に演奏できる=上手くなる
という効果が現れたら?
そんな可能性だってあるのだ。
まあしかし、結局この後
この先生のところへは
行かなくなってしまったのですがね。
当然のごとく。
行かなくなった理由はもちろん魂にゴミ問題が
あったから、なのだけれど
気分としては、できることなら
騙そうとした、という事実であってほしい
と、思っていた。
なぜなら、音楽を生業としている人が、
リズム感のいい悪いを
魂についたゴミのせいにする
というところに、がっかりしていたからだ。
そのゴミがついたのが
その人の行いならば、自分のせい
ということにはなるけれど
つけかたも取りかたもわからない
「魂のゴミ」というのはつまり
自分の力の及ばないものである。
つまり、自分は被害者である、という
思想がそこに存在する。
これを信じる人が、演奏している最中。
もし自分のリズム感が悪いと感じる瞬間があったら
「魂にゴミがついているから仕方がない」
と思うわけだ。
それは、その時自分ができることを
放棄し、諦める瞬間があるということ。
そして、そういう考え方がベースにあれば
さまざまなことが、自分の力の及ばない
つまり、他人のせいになる可能性も高い。
信じていない人だったら?
周りの音を聞き、判断し
なんとか今持っている自分の力の範囲で
対応しようと全力を尽くすだろう。
どちらが上手いか?は関係ない。
この、どちらの人と、一緒に音楽をやりたいだろうか?
どちらの人の奏でる音楽を聴きたいだろうか?
万が一、本当に信じてやっていたのだとしたら
その可能性だってゼロではない。
きっと彼は、自分のリズム感の良さに
満足することもないだろう。
上には上があり、手に入らない才能があり
それを、音楽とは直接関係ない方法で手にいれる。
自分にないものを求めて
自分らしさを欠陥とみなし、他人になろうとする。
そういう人からは
音楽を教わりたくない、と思ったのだ。
自分なんて、音楽が趣味と言っても
ろくに音楽を聴きもしない、そんな程度なんだけれど。
それでも。
このころの自分は、もしかしたら
その先生と同じだったのかもしれない。
上手くなりたくてなりたくて
どうしても演奏で見たい景色があって
でも、それをどうやってどこに行けば
その景色を見られるようになるのか
さっぱりわからなかった。
いくら練習しても、誰に習っても
壊すことのできないガラスの天井が
厚く上空を覆っていた。
今は、その、上手くなりたい、という気持ちが
先生や周りの真似だったことがわかり
上手くなりたい欲はないことがわかった。
練習もしないし。
音楽も普段全く聞かない。
普通の人が音楽が好き、というのと
自分はどうもなにか焦点が違うような気がする。
でも、そこを大事にし、OKを出すことを覚えた。
あの時見たいと思っていた景色は
見れたらいいけど、見る必要はないもの
というのがわかった。
それがどこにあって、
どうやったらいけるのかも予想がつき
そこにつながる隔てるもののない道の上に
確実に立っている自分を実感している。
誰もが、そういう道に立てることを確信している。
魂のゴミは、たぶんまだ取れていないはず。。。
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