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その道具は自分に心地のよいものか?
最近、ふと、小さめの包丁を買ったんですね。いきなりですが(笑)
そしたらこれが、小ぶりな私の手に想像以上にフィットして!
あれこれこの包丁で切って料理の楽しさが増してます(笑)
一般論的な”大は小を兼ねる”で、別に今までも普通の包丁で困ってはいなかったんですけれど。「自分に合った道具を持つ」ことの日常生活への影響ってほんっとでかいですね!!
…ナイフ話は、あえて語気を強めることでもないのだが(笑)
道具って、やっぱりないがしろにできない^ ^
慣れると道具は無意識的な体の一部になる。
今「この」道具を持っているということに自覚的であると、
道具は
・改良する
・変える
・置く
・使わない
などなど、実は色んな可能性が常にある。
*
こういった道具考について
一番参考にさせてもらっているのはやっぱり宮崎先生^ ^
さっきTwitterでこんなつぶやきやり取りを。
無成長でも成長してても「からだ」に気持ち良い巡りを感じるなら、生きものとしての私達はきっと幸せなはずだ
— みやざき鍼・灸~阪神 西宮 鍼灸院~ (@taicodon5656don) October 20, 2020
反対に人間的に社会的に成長してても【××しなければ…】に捕らわれて「からだ」をキリキリ縛りあげるならば、生きものとして私達はかなり不幸せなはずだ#からだ考 #依存症に依存する社会 https://t.co/G1OluFj9db
もう、完っ全に共感。私も、そう思います!!!以上(笑)
「考え方」「ものの見方」も、ひとつの道具ですよね。
宮崎先生は「考えてきた人」であり、「考えている人」だなぁといつも思うんですけど、
この「あきらめる」に関しても、
春先に先生と話している中で、「…あっ…!」と気づきのあったこと。
そこから、じわじわ自分なりに体に馴染ませてきて、今日のつぶやきに繋がるのですけれど^ ^
昨日のブログとも通じるところもあり^ ^
すごく大事なことを「言葉」という道具をもって交わすことで
また一つ、私の心体考が深まったなぁと(^ ^)/
心とからだ。じっくり考えて、色んな対話を重ねていきたい^ ^
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