私は神じゃなかった
「私は神じゃない」
そりゃそうだろうと言われると思うが、実は私が自分は神ではないと自覚したのはごく最近のことだ。
当たり前のことを言葉の表面だけで捉えるのではなく、”自覚”した瞬間私たちの世界は大きく変わる。
この世にはそんな事実や言葉がゴロゴロと転がっている。
私は人を恨み、嫌い、憎む。
私は隣人を平等に愛さない。
私の行動や言葉は時に人を傷つける。
私は愛する人さえも自分の言葉と力では救うことができない。
私が受けた光や放つ光で影を負う者がいる。
誰もを平等に愛そうと、傷つけまいと、許そうと、愛する者は全て救おうと、思ってはいるけどなかなか上手くいかない。
そんな自分を振り返っては、ああ私って未熟な人間なんだなあと思っていた。(なんと傲慢な)
でもある時、何がきっかけだっただろう、
「あれ、そんなの当たり前じゃね?」と思う瞬間があった。
「そんなのできるの神様だけじゃね?」
そっか、知らなかった。私って神様じゃないんだ。
私も誰かに嫌われ、憎まれ、救われず、傷つけられている。
そんな私が他人のことまで考えてられっかよ。
自分の心を殺してまで相手を思いやるな。
自分の犠牲の上に他人の人生を成り立たせるな。
そんなのちっとも偉くも立派でもない。
優しさをはき違えるな。
神にしかできないことは神に任せておけばいい。
私は私のために生きればいい。
もちろん、あなたもだ。
みんな自覚が足りない
ちょうど上記に「誰かの光で影を負う者がいる」という話が出てきたので、少し話は逸れるがそのことについて、いくつか。
昨今SNSのせいで誰もが不必要に影を負い悩んでいる気がする。
あなたへ
あなたが輝くことによって周りには人が集まるだろう。
そしてあなたの放つ光は影を生む。
その事実を知らずに好き勝手に光り輝き、寄って来た者のみに愛を分け与えることは罪だ。
あなたの存在で生まれる日陰者の存在を自覚したほうがいい。
自覚するだけでいい。助けろなんて言ってない。
それだけなのに、あなたは。
あなたへ
あなたは自ら日陰者を選んでいる。
それなのにあなたは自分に影を落とす相手を憎み、妬み、落ち込んでいる。
あろうことか相手を攻撃しようとまでしている。
その瞬間あなたは罪人となってしまうというのに。
あなたは自分が陰から脱することができると自覚するべきだ。
光を憎むのならその光から離れればいい。
それだけなのに、本当にそれだけなのに、あなたは。
みんな無知だ。分かった気になって、実際何も分かっちゃいねえ。
それらは不必要なものなんだ。
自分で不幸を拾ってんだよ。それなのに何処かの何かのせいにして「私はかわいそうだ」などと言ってるやつらを見ると反吐が出そうだ。
他人への執着を捨てろ。
自分のことだけ考え、見つめろ。
あなたも私と同じ、神ではないので他人を支配することなど不可能なのだ。そのことに気づいて。早く知って。
そうすればあなたはいくらか生きやすくなるのに。
「私は神じゃないんだから」
そういった思考回路ができたことにより私は以前より少しだけ生きやすくなった。表現を恐れなくなった。
そのぶん、前より人に優しくできなくなった。
人に優しくなくても生きていけることを知った。
本物の優しさとは何なのか、考えるようになった。
愛はもらっても返せないときがある。
おそらく、私の愛も一方通行の時がある。
全てに永遠は存在せず「仕方のない」ことを徐々にだが分かり始めている。
あなたも私も神ではない。
どうか愛する者たちがこの事実に気づき、不必要に傷つき苦しまない未来を、祈っている。
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