母の日に思うこと

母の日でした。今年は母の月になっているらしい、数日前に知りました。とことん、こういう話題に疎い。昔から変わらない。

毎年母の日ギフトを求めるお客様の接客をしていて、母の日だなーと感じられたけど、今年はそれがなく、なんか本当に実感がないんです。はて。


私の家は、誕生日 クリスマス 雛祭り 端午の節句などの催し物が行われない家庭だった。

写真はあるけど、全て父方の祖父母の家のもの。父も母も自分たちではやろうとはしない性格だったのだと思う。もしかしたら、うちは行事ごとはやめようと取り決めたのかもしれない。深く聞いたこともない、聞こうと思ったこともない。

写真も私が3歳未満のものが多く、記憶がない。だから私の家はやっていない、ということにしている。

1度だけ母の日にギフトを贈った。びっくりするほど大人になっていたが、気恥ずかしさを押し殺してギフトを贈った。少しだけ、催し物を行わなかった親を呪った。

「こんなものじゃなくてビールがよかった」という言葉に、気が狂うぐらい泣いた。母は取り返しのつかないことを言ってしまったと謝罪したけど、許さなかった。

それから母の日にプレゼントをするのをやめた。代わりに、誕生日に当て付けのようにビールを贈った。母は、私に言った言葉など覚えておらず、喜んだ。嬉しいと言ってビールを呑んでくれた。

そんなビールでも、こんなに喜んでくれるなら、小さい頃から誕生日会やっていたらよかったと毎回思った。


今、母はいない。

数年前に亡くなって、この母の日が大嫌いになった。心の底から大嫌いになった。

日本中が母を思い、言葉をかけ、プレゼントを贈る。ひとり、私はひとりなんだと思わされる日になった。ただ、こんなことを思うなんて、人として酷い感覚なんだろうと、口には出せなかった。


母が亡くなって初めての母の日が近づき、今までと同じように母の日ギフトを探すお客様の接客をしていた。包装をしながらお客様とお話をする。どのお客様にも同じような問いかけから始まる。


お母様へのプレゼントですか?

いいですね!

お母様も幸せですね。プレゼントも嬉しいでしょうね!

「でも、もう母はいないんです。大切に思ってる、親代わりの人へのプレゼントなんです。」


販売員としては失格だと思う。少し、寂しい目をしてしまった。


「母はもういないから、母の日はあまり好きじゃないんですよね」


溢れ出そうな涙を抑えるので必死だった。同じ感覚の人いるんだと思った。この感覚が普通なのか?とも思った。いや違うだろ、たぶん。

なんて言葉を返したのか覚えてない。感情を抑えて、慌てて言葉を紡ぎ出していたと思う。

ありがとうございましたとお客様の背中を見ながらエールを送っていた。この感覚、自分だけかなと思っているのかな。私もいるよとテレパシーも送った。


母の記憶がだんだん薄れていっている。記憶は話すことで植え付けられているんだと、母が亡くなってから何年も経って知った。母の話をすることもない。話題を避けて母のことを聞いてくれる人もいない。だからだんだんと母の記憶がなくなっていく。もっとおかあさんの話がしたい。


母の日だから、母を思い出す。あのビールや口喧嘩した日や煙草の匂い、明日死ぬかもしれないから楽しんだもん勝ちだよって笑った姿、大切な記憶が薄れていく恐怖と戦いながら、忘れないよう思い出す。母の日は大嫌いだけど、それでも年に1回ありがとうと言える日が、私には今でもある。確かにある。大切な日だ。

おかあさん、ありがとう。


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