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いまの幸せを感じるために、「食事中のテレビ」を消してみた


いま、この瞬間の幸せを味わうこと。だれでも簡単にできそうなことなのに、わたしはとても苦手なことだ。

不幸前提。ベースがマイナス思考な効率厨であるため、常になにかを改善しなければと思い、焦って生きている。

物心がついたときからそうだった。「もっと勉強しなければいけない」そう思って入った学校でも、「ちゃんとした大きな会社に就職しなければいけない」と焦り、入社してからは「もっと働かなければ、存在価値を見つけなければ」と焦っていた。限界がきて会社をやめてフリーランスになったときも、有給消化で業務委託先を探し、退職と同時に働きはじめた。すこし休む期間をとればといいのにと周りに言ってもらったけれど、休んでいるのが怖く、焦っていた。

それがいまも続いている。フリーランスになって、自由な働き方を手に入れたはずなのに、こんなに自由でいいのか、空いた時間はスキルアップするために使わなければ!と焦っている。常に自分の現状に満足できずに、追い詰められて生きている。(誰に?)

これに関してはもうどうしようもないのだ。焦る自分を認めて、そう割り切っている。たとえ宝くじが爆当たりしても、わたしは社会での存在意義が…とか言って焦って働き続けるのだろう。

焦ってがんばることはやめられないにしても、せめていまの幸せを感じることくらいしてみようと思い、いろいろやってみた。

【失敗】モーニングページをはじめてみる


適当に過ごしていると、瞬く間に日々が過ぎ去ってしまう。これは良くないので、日々の記録をしてみることにした。

日記を毎晩書くのは何度も挫折済みであるため、モーニングページにチャレンジしてみた。

朝起きてそのまま、机の上に置いてあるノートに思考を走り書きしてみるのである。それを数日続け、自分の思考を見つめてみた。

すると、わたしはその日に見た夢のことばかり書いていた。宇宙人とイタリアンを食べた話だとか、お風呂に入っていたら世界が反転してお湯に溶けていた入浴剤だけがパラパラ舞い落ちていて綺麗だったとか、イカれた夢日記になっている。夢占いはできるかもしれないが、これでは幸せをみつけるどころか自分の思考を見失ってしまう。

【失敗】瞑想してみた


いま、この瞬間に集中することの代表格、瞑想。

YouTubeで瞑想動画を検索し、目を瞑り、瞑想に取り組む…

が、まったくできなかった。仕事のタスクとか、明日の朝食はなに食べるかとか、そもそも瞑想ってどういう感覚なのかとか考えはじめると、瞑想の領域に到達することができない。何回チャレンジしてもコツが掴めない。

そもそも「YouTubeで瞑想動画を検索し」という時点で瞑想感が薄れている気はしていた。それっぽい環境で再チャレンジしてみたい。


【成功】食事中のテレビを消してみた


テレビっ子のわたしは、帰宅したら部屋の電気とともにテレビの電源を入れ、寝るまでつけっぱなしという暮らし方をしていた。もちろん食事中もつけっぱなしだ。

バラエティ、ドラマ、映画、YouTube動画など、テレビでみたいものは無限にあるため、時間が許す限り、流し見していたい派なのである。

しかし、テレビと向き合いすぎて自分と向き合うことができていないことに気付いてしまった。食事をするときくらい消してみようと思い立ち、「いただきます」の前にテレビを消してみた。

そして成功。自分と向き合って幸せを感じられた。食べものをじっくりとみることができるし、しっかり咀嚼することも意識できる。

作って、食べる。これを毎日できている自分と、そもそも食材が豊富に手に入ることのありがたさを身に染みて感じることができる。

夫と食べるときは、これまで以上に会話も弾み、「今度はこれが食べたいね」「今度あれを作ってみよう」などと未来の食事に向けたポジティブな会話にまで発展した。


幸せを感じるために大切にしたいのは食事の時間だった


いま、この瞬間の幸せを感じる。そのために自分に向いているのは「食事中にテレビを消す」という幼児教育みたいな方法だった。

たったそれだけではあるけれど、焦ってせかせか生きているわたしでも、幸せを感じる時間を見つけられた。

「ながら」は効率的でメリットも多いけれど、やめてみることで見えてくることがもっとあるような気がする。


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