明るい色の洋服を着たい
今週のお味噌汁
ズッキーニとロメインレタスのお味噌汁
ズッキーニをお味噌汁に入れるの、とっても好き。ロメインレタスは初挑戦だったけど、とても美味しかった。玉レタスはよく合うけど、その他の葉が薄めのレタス(サニーレタスとか)は難しいのかなと思ってたけど、ロメインレタスはありだということがわかった。ニラのお味噌汁
春菊とかニラとかセロリとか、香り強目のお野菜大好き。ニラをお味噌汁に入れると美味しいって教えてくれたのは、みんな大好き白ごはん.com。出汁を含んだニラは甘い。約3人分にニラ1束入れてるので、たっぷりたべられてうれしい。ついついニラ玉にしちゃうけど、やっぱお味噌汁に入れるのも美味しいよなあ。
今読んでいる本
『いらねえけどありがとう』/村井理子
『かわいい夫』/山崎ナオコーラ
他人と自分の境界線をぐりぐりと引く。わたしは境界線が薄いタイプなので、意識して意識して引かなくてはと思う。
『いらねえけどありがとう』読了。
主題と逸れるのだけど、文中で「主婦」と繰り返されるのに違和感があった。筆者は職業を持っているのに…?と思ったから。でも主婦と言ったって必ずしも専業主婦の意味ではないのかも?とおもって辞書を引いてみた。
わたしも家事はする。しかも主に担っているのはわたしなので、そうするとわたしは主婦ということになる。が、自分のことを主婦だと思ってないんだよな。家に大人が2人いて、2人で担っていると思っているからかな。仕事してるからかな。「婦」の部分の違和感とかも要因としてあるんだろうか。自分が「主婦」に該当することと、その自認が全然ないことの両方にびっくりしてる。
又吉氏のYouTube(新社会人に向けての100のアドバイス的な)をみていたら、「自分より面白い/知識ある人といる時間を大事にしろ」と言っていた。「その人の考え方を知って、じゃあ自分はどう考えようかっていうことができる」と言っていて、静かに衝撃だった。どうトレースしようかじゃなくて、(トレースするか否かではなく)では自分はどうするか、先達のものとは別のものとして自分の考えをどうしていくかって考えるんだなって。
自分より優れた人の考えをなぞらなくていい。聞いた後取り入れるにせよしないにせよ、聞いたことから考えて、自分の考えを進める。従わなくちゃいけない、聞いたら倣わなくてはならないと思い込んでいたな。「わたしはわたしでいい」ということが、わたしはまだわかっていないんだと思うな。
あと、こういう時、すぐ「〇〇でいいんだ」って思っちゃうのいやだな、承認制ではなく己で決めたい。
呪いを一つずつ解く。
コストコに行った。買ってみたかったものを買おう!のコーナー、今回は、ロティサリーチキンとチョレギサラダでした。
おっきいティラミスを買いたいけど、こどもがまだ食べられないから保留。あと、サーモンの大きい切り身を買う気でいたけど、ひとパック5000〜6000円だったので勇気が出ず見送り。
冷蔵庫も冷凍庫もパンパンで、痛む前に消費せねばと頭を抱えるような気持ち。キャスリーンの教えに背く行為だという思いをちらつかせながら買い物した。とはいえ、チーズいっぱい買ったので楽しみ。
麗らかな陽気!
一億年ぶりにセバスチャンXの『僕らのファンタジー』が聴きたくなって、かけてみた。ゴールデンウィークらへんの空気感のアルバムだな、わたしの中では。名古屋にいたころの、若くてお金がなくて自由で勝手で宙ぶらりんな時期を思い出す。初めて吉祥寺にきて、井の頭公園を探して迷った日のことも。
それが今では、家でお仕事しながら聞いている(それはあんまりよくないな)。
コストコのロティサリーチキン、2日目も3日目もばっちりおいしい。そろそろトマト煮込みにしようかな。たのしみ!次から毎回買おう。
こどもはパウパトロールのロッキーが好きで、「〇〇でありますか〜?」「〇〇であります」と口調を真似ている。
今夜は新キャラ、アナ雪のアナになりきっていた。頭にロングヘアを模したタオルを巻き、「こっちへいきましょうよ〜」とプリンセスの話し方をして走り回っていた。(ちなみにわたしはエルサ)
キャラクターに応じて口調を使い分けて、いつのまにかプリンセスの話し方も覚えて、あっという間に大きくなるな〜3歳の知能すごいな〜とびっくりしている。わたしはこどもの成長を見てびっくりしてばかりいる。
『かわいい夫』を読み始めた。
親が死ぬということを考えてみた。わたしは、両親とは死ぬまでもう会わないことにしているので、死に際に立ち会うつもりはないんだけど、もし立ち会うとしたらどうかなと考えてみた。
たぶん、このようになってしまったことやそれで辛い思いをさせただろうことなどを悔いてしまうだろう、たくさん後悔するだろうね。
とはいえ、そういうときにわたしが想っているのは実物の親ではなくて、たぶんイマジナリー親のほうなんだよな。
実物の親は、どうだろうかな。すごく冷たくされたり、めちゃくちゃ怒られたり、罪悪感をぶち込んでくるかもしれないな。まあ良いことはなさそう。とにかくわたしは、こういうことに関して親を全然信用していない。こういうことっていうのは、なにか期待をかけて寄って行ったときに優しくされたり期待通りの反応をもらえるというようなこと。
何が言いたいって、わたしは父と母のことを本当は好きでいたかったんだということ。本当は、そりゃあ何もなくて好きでいたかった、だけど自分を守るために捨てざるを得なくてこうなっている。わたしから「信頼できる親をもっている」という可能性を奪ったことに対しても根深く怒っている。
電車で、すごくおしゃれな人を見た。
白髪の混じるベリーショートの髪、ヒヤシンスみたいな紫みのある青いシャツ、暗めのグレーのジャケットとパンツ、耳元には大きめのイヤリング。足元はローファー。
シャツのボタンは1番上までピシッと止められていた。
イヤリングは、大きめのダイヤモンドの周りを小さめの石でぐるりと囲った円形のモチーフだった。大ぶりだが、マニッシュな服装の中にあって派手という印象は全くなかった。全体を引き締め、明るく華やかな印象を添えていた。大事にされている宝飾品なんだろうなという気がした。
ああこういうふうな服の着方ができるようになりたいな。シンプルでマニッシュだけど、貴金属と手入れの行き届き具合でラフにならない、みたいな。夢だなあー!
でもコピーでは違うんだよな、同じにならないんよな。わたしはわたしバージョンのスタイルを模索せねばならんのよな。
かの人は三鷹で降りて行かれた。三鷹!ぴったり、すてき!
インド富士子でごはん。タラのレモンカレーが絶品だった。パクチーが散らしてあって尚更最高。ここのごはんは、カレーもめちゃ美味しいが付け合わせがとっっっても美味しい。あああまた食べたいなー!
母の悪癖を自分の中にみとめた。嫌な気持ち。
どんなことかというと、他人の有り様(出来事だったり状態だったり)から勝手に背景を創造して、憐れむこと。それを他人に話してきかせること。あれは、他人の不幸を踏み台にして自分が楽しむため、自分をよい/恵まれた人間だと思うためだけの行為だ。
それはとっても失礼なことだし、聞いている方も嫌。
ああいやだな、こういうことは。
せめて、口をついて出そうになったら、「あっ自分の幸せなことを考えよう」と思い直して黙りたい。もし他人の事情に思考を巡らし始めたときは、事実と捏造部分(わからない部分)を分類するようにする。
ブルーベリージャムを食べ切ったので、キャスリーンに教えてもらったとおり、オイルと酢を入れてビネグレットを作った。
春菊とデコポンにかけて、チーズを削って。カットしたデコポンが余ってたよなって思い出して、すっとサラダにできたのが、なんだかサラダレベルが上がったようでうれしかった。
春の雨の週末。
インターネットでお洋服を買ったが、果たして。自分が着たい服を着るのは大前提だけど、年齢に応じて似合うものが変わるのもまた事実。カジュアルすぎるな、ちょっと若すぎるのでは?などと思うが、わからん。やはり買うより、毎月一万のレンタルプランを細々と続けていくのがよいような気がするが、どうだろうな…
インターネットでお洋服を買うとき、合計2-3万とかはまあ…となるが、毎月一万と言われるとちょっと高いかな…と思ってしまうのはなぜなんだろう。そんなに変わらないのでは?むしろ月一万がやすい可能性まである。億万長者になりたい!
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