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「慣れる」ということ。

デザイナー歴4年、最初に務めた会社はアダルト系の広告会社。

デザイン業界に来て、のほほんと生きていても副業で次々と仕事が舞い込んでくるくらいには成長しました。(したつもり

が、しかし、最近感じていることがあって。
それは「デザイン脳の死」


自分の履歴書みたいなことがつらつら綴られているので、目次からどうぞ。


紆余曲折ありすぎて、考えすぎてダメになった。

別にデザインができなくなったとかではなく、前より手早く作ることができるようになったし、ダメ出しも昔よりされなくなった。

そして、一番の変化は、仕事面で褒めてもらえるようになったこと。
(1社目の上司は人間性を買ってくれてたけど)

それならいいじゃないかと思うかもしれないが、今の私はインプットができないから大問題だ。

デザイナーになりたての頃は、勉強会にもたくさん参加していたし、そこで仲良くなった人を勝手にライバル視して自習勉強もたくさんしたし、デザインを考えることが楽しかった。

けれど、世の中に溢れかえるデザインを見すぎて、ただただ美しいと思っていたものが「意図された美しさ」だったことを嫌でも意識せざるを得なくなってしまった。元々知ってはいたが。

でも、それが本当に嫌だった。

美しいものをただただ美しいと思いたいのに。
みたいなナルシズム満点なことを考えた結果、インプットを止めてしまった。

インプットを止めた世界はただただ美しかった。

いや、暫くは汚いままだった。元の美しい世界を見るにはその後、数年かかった…。
そして、美しい世界で生きたかった私は、デザイナーを辞めた。

デザイナーという、淡く燻んだ色の世界からポップなチラシ色の仕事になった。(たまに、物事に色がついてみえるのはすっごい薄い共感覚なのだろうか。)
チラシ色の仕事は楽しかった。
なんつーかキラキラしていたし、純粋に美しい世界を楽しめるから。
でも続かなかった。3ヶ月くらい。派遣だから体の弱い私には厳しかった。別にデザイナーに戻りたかったからとかではない。ごめん。

その後、縁があって、デザイナーに戻った。

デザイナーに戻った私は疲れていた。

何にって、プライベートに。

インプットできない状況でした。元彼の束縛がひどくて。

なんだかんだ、その状態に慣れてしまって、なんとなく疲れててインプットしたくない、みたいな脳みそになってしまっていた…その時は。

今度は逆に何を見てもキラキラしない無色透明な世界になってしまって、給料もいいし惰情で続けてました。
スタートアップの頃からいたので情はあったし。

結果的にはそこも辞めて、そのあとでファッション販売スタッフで何社か転々とするんだけど仕事的にはぶっちゃけ一番楽しかった。ファッション好きだし。だから今もブランドをやっている。

手抜きのインプットを覚えたこと


それで今に至るんだけど、なんというかインプットができない。
それは手抜きのインプットを覚えてしまったからだと思う。

必要な時に、必要な情報だけを取り出す。その時ばかりのインプット。
あまり身にならないし、そのデザインの意味を考える余裕もないから、良質なアウトプットができない。


なぜそうなったかというと、時間がないから。
早く作るためにも時間がかかるインプットの工程をカットするか短縮するかしかなかった。
前者は、経験を積んでいればある程度は可能なのだろうが、4年やっているとはいえ、脳みそのキャパが少ないので無理だ。
そこで私はインプットの短縮に走ったのだ。

結果、手抜きットは効果覿面だった。
GOサインも出るし、早いから褒めてもらえる。

というか、納期やばい案件ばかりなので褒めてもらえるとかそんなのは(一番嬉しいけど)わりとどうでもよくて、仕方がなかった。しょうがなかった。しんどかった。

手抜きインプットをするなら理由づけを

手抜きットをする際に一番大切なのが、理由づけだ。

デザインは理由があってのデザイン。
それがないと認められない。ただでさえIT業界は理論武装の方が多い…。気がする…。私もその中の一人。女特有の感情論は、それっていいの?は??ってなってしまう。私自身、感情めちゃくちゃあるタイプだが周りに振り回すのは違うと思う、正直恥ずかしい。人がやってる分には軸があっていいなぁとは思うけど。

話が逸れたが、手抜きであれなんであれ、理由がなければ始まらない。


私は、言い訳をする時だけ頭が異常に回転する。

正解か不正解かはどうであれ。
モードに入るとすごく落ち着いたことを言い始めたりする。私にしては。

だから、説明するタイミングになったらちゃんとそれなりに適当な説明はできる。できてしまう。(と思っている。思っているままでいたい。


あとは「モデリング」がとても便利な言葉で、〜〜のサイト説得力のあるところ)からモデリングしましたって言うとだいたいが「なるほど〜そういうことか〜〜」ってなる。

だから、手抜きする時は、モデリング先に対する理由づけを一瞬でめちゃくちゃ考えて理論武装するというのを意識するようにしている。
(あれ、これってもしかして、なんだかんだ考えてる…?)

そんな感じなので、甘えてしまってインプットがおろそかになってしまう。

けれども、このままではいけないというのも分かっていて、「慣れ」からどうやって脱出するか考えることもある。

意味を考えるインプットについて

当たり前のことだ。
考えればいいのだ。
人は考える生き物。
考えないのは惰情。


せっかく脳みそ使えるんだから考えないと勿体無いし、ウマシカになってしまう。
使ってなんぼ、動かしてなんぼ。

ただ、意味を考えて、あ〜これはこうだから●●してんのか〜って、気づいて、アウトプットして…


上がらない。

テンションが上がらないのだ。

インプットして仕事にアウトプットするだけって、なんか美しくない。
なんだろう、考えをまとめて、プライベートにアウトプットするのが一番あがるのかもしれない。(そんなこと言ってないで仕事しろって話

結論、「楽しい」が「慣れ」を打破する

いろいろ考えて分かったのが、プライベートはまだまだ生きたデザインができているかもしれないということ。

文中にプライベートのことは出さなかったけど、上で語ったことってほとんど仕事に対する考え方であって、プライベートは全然違う。

あ、じゃぁそっちはまだ大丈夫かも。って。

私は自由で、アホな人間だから楽しくないと上がらない。
だから自分をあげていかないと継続しないし、そもそもやらない。


やらないは罪。

そしたら、仕事でも楽しくインプット・アウトプットする方法を見つけなきゃじゃんねってこと。
仕事自体は楽しいけれど、やっぱりプライベートとは違うわけだし。
泥臭いデザインがほとんどだから上がらないのは事実。ごりごりのLPを作るのは大好き。自分のなかの悪ふざけ魂が上がる。

自分を上げることが楽しいに繋がる


やっぱり、インプットの方法にせよ、何にせよ、自分のあげ方をまずは習得しなければ次に進めない気がしてきた。
あ、ブログを書いていた時はアウトプットが楽しかった。
なんか美しいことしてる〜〜って思えた。
SEOこだわりすぎてて、泥臭かったけども。
そこまで美しくないんだけど、めっちゃ綺麗なことしてるって思いながらやってた。

あと、紙のノートにアウトプットするのも好きです。

アウトプット大好き人間なんだけど、飽きるし、なんか美しくないなーって理由だけで止めちゃうから困ったさん。

今度、noteにも書くけど現在のノートは綺麗じゃなくてもOKノートにしてて、家計簿も予定も書き込めるバレットジャーナルもどきだから3ヶ月続いてます。ほぼ毎日書いてて、奇跡おきたなと思ってる。

今はお気に入りの適当ノートも、ネット世界のnoteもあるし、少しだけまたインプットを頑張ってみよう。


私の目標の、笑顔を増やせるデザイナーになるため、再度戦ってみよう。


参考note

今日の内容は、こちらの記事から。
「ゆるやかな死」が自分事に感じたので筆をとりました。

アダルト業界で勤務されているのにも親近感。
私は今は違うけれども。

あと、モンブランさんの文体が好きです。


現場からは以上です。
とっとと仕事して、私。

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