実は逃げたかった

高校の時はどこの大学へ行きたいとか、全然考えてなかったけど
なぜか進学クラスに入れられていた
歳がばれるかもだけど
高校2年の時に、「姉さん、事件です」のあのドラマが流行った
これだっ!と思った
2年の終わりに進路希望調査票みたいなのを書かされた記憶がある
専門学校〇〇ホテルスクールと書いた
3年次、進学クラスじゃない隣のクラスに移らされた 笑

無事に専門に進んで、働きたいホテルに出会った
夏休みを利用して研修に参加させてもらった
研修先がプーケットだった
タイとの初めての出会い
それまで、タイがどこにあるのかも知らなかった

無事に卒業し、就職もそのホテルに採用され
初めの配属先が、プーケットだった
これが人生の半分を過ごすことになる滞在の始まりだった

初めに勤務したホテルは実は1年ほどで辞めている
その後、そのホテルで同じくスタッフだったタイ人の親友に誘われて
タイ伝統人形劇場で働き、併設のレストランのマネージャーを経て
パタヤ支店を立ち上げ、赤服黄服騒動でお店を潰し
プーケットのフランチャイズ店へ出向し、そこに気に入られ
6年ほどいさせていただき、バンコクに戻ってきたけど
サービス業はもういいかなという思いと諸所の事情で
日系の旅行会社に入社したけど、「ここやべぇ」の勘が働き
4か月で逃げた(後日そこの上司は児童ポ〇ノ画像云々で逮捕された)
その後、会計とか簿記が何かすらわからなかったにも関わらず
日系の会社様をお客様にもつ会計事務所で会計を勉強しつつ働き
紆余曲折あって今はバンコクの北、ノンタブリというところにいる
ここでも全く全然今までの経歴と関係のない業種なため
1年たった今も、ほぼ何もわかっていない

日本に帰ることもできたし、両親もまだ健在だし家もあるけど
タイにいることを選び続けてきたのは、逃げたかったから
何から?
窮屈だった、ずーっと

どこかで聞いたとこがあるかもしれないけど
小さい頃は、いつか自分にも弟みたいに〇〇コが生えてくるものだと思てた
TVで見るアイドルも、女の子のアイドルが好きだった
憧れとかじゃなくて
中学の時、彼女が出来た
親にも先生にも反対され続けた
職員室によびだされて暗くなるまで説教もされた
親には泣かれたし、相手の親にも泣かれた
高校と専門時代は男性と付き合ってみた
なんとか慣れるんじゃないか、矯正できるんじゃないかと思った
無理だった 笑

夏休みの研修先のプーケットで素敵な女性と短い恋に落ちた
でも誰にも何も言われなかった
後ろ指をさされることも、陰で何かを言われることもなかった
メンズの服を着てても、女性と手をつないでいても
誰にも凝視されなかった
日本の地元では(20年くらい前の話)ありえない解放感だったし
周りを見渡せば、自分と同じような人がわんさかいた 笑

バンコクに移ってから14年を一緒に過ごすことになる女性と出会った
ご両親にもお会いした
過去の経験から、きっと反対されるお思ったけど
タイ語も挨拶くらいしかできない異国から来た自分を
彼女のご両親は快く迎えてくれた
1人暮らしをしていると伝えると、どうせ付き合ってるんだからと
家に引っ越して来いと言われた
10年ほど彼女の実家に居候させてもらった
お母さんの作るごはんが美味しすぎて20㎏くらい太った(戻らない体重)

タイ人はこういうことに対しては寛容、懐が広い
あと、他人がゲイであれなんであれ、あまり気にしない
上記の彼女とは惜しくも別れてしまったけど
7年ぶりに一緒の会社で働いている
相変わらず綺麗で、手放した自分は心底バカだったと思うけど
これも人生
お互いに今が幸せなので良し

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