架空現実混合する人を守るために実在する人を追い詰めるアンチProshipper~最早ゾーニング要求ではなく排除行為?!~
アンチプロシッパーと格闘してたらペドフィリアと認識されて凍結されますた(´・ω・`)
※誓ってペドフィリアではありません。ペドフィリアの主な層と私のミサンドリー精神とは合致しないポイントが多すぎます。ただ架空ペド層と現実で実在する人々を追い込む層と比べたら架空ペド層を支持するだろという話です。
Twitterのアカウントの凍結に対する異議申し立てをしている最中、別の記事を書いていたところこんなものを目にしました。
推測しますが、彼女たちがまだ若くゾーニングを怠ったというところは思い当たる部分もあります。ですがそれはこのケースに至っては最早「いじめられる方が悪い」という加害者の言い訳とほぼ同じでしょう。
しかし実際にアンチProshipperをする人々は若い世代が中心とはいえ概ね17歳以上であり、彼女らよりも年齢は上のケースが多いです。
つまり、アンチProshipperは非現実的な表現を実際の人々に影響を及ぼさないように現実にいる少女を精神的に追い詰めたという頓珍漢な行動を取ったということになります。
日本でもカップリングの存在やそもそもBL描写が迫害されたり脅迫されていた時代がありましたし、現行でも同じような状況下にはあります。
脅迫とまではいかなくても、「アンチスレ」や「愚痴垢」などで脅迫まがいの行為をされている方々も多く存在します。
実際に自殺に追い込まれた人もいただろうとは思いますが…
彼らは嫉妬ではなく、正義感の為に排除行為を行う。
前に書いたこちらの記事を見て分かると思いますが、彼らアンチProshipperにとってはProshipperを排除して正義という価値観で動いています。
DNI(do not interact:関わらない)ではありません。寧ろ晒し上げたりして関わってきます。
なので、アカウントは愚痴アカウント、オタク嘲笑アカウントではなく本アカウントで行う人々がほとんどです。
我々のような真実にProshipper(全てのShipの存在を容認する)でさえ排除の対象になります。
排除=死?!
例えば上記記事なども含めてこのような感じで自殺教唆が行われますし、実際に記者でさえ死を望まれました。
『海外のモータルコンバットは今"Anti- Proshipper"がアツい!!』から抜粋
匿名コメントであればあるほどより強い誹謗中傷や差別、死を望まれますが、通常のアカウントでさえこのような言葉を投げ続けられます。
創作で影響を及ぼす人や文化の為に実在する人を排除することに正しさはあるのか。
実際に創作で影響を及ぼした、というニュアンスはよく使用されます。
例えば凶悪犯行や重大犯罪での言い分で使用されるケースです。
しかし体感的な実感として、それら創作が原因ではなく、主に支配欲や毒親による教育不全、家庭内暴力の末に起こるものが殆どだと認識しています。
近親相姦を早急に解消するのであれば子供に権力を持たせたり、家庭環境から即座に脱する事ができる環境、教育などをする必要があります。
ペドフィリアは犯罪行為の重大性や実在行為に及ぼさない為の倫理教育が必要だと感じています。
これらを抜けた人々が犯罪行為に及ぶわけですが、それはこの二次創作界隈やファンアートで起こり得るものでしょうか?
それらが定着した日本では実際に暗数は山の数ですが、それを含めても実数としては他の先進国よりも低い場合が多いです。(逆にいえば、暗数を含めるなら規制や文化面で厳しい海外ではそれほど数が少ないわけではないということです。)
考えると、このような影響を及ぼされた人の少数とのために、実在する人々の少数に自殺教唆をしたり実際に未成年者を自殺に追い込むというのはバランスが悪く不条理ではないかと考えます。
異文化排除でもないかという側面~キリスト教の歴史~
こちらも『海外のモータルコンバットは今"Anti- Proshipper"がアツい!!』から抜粋した上での内容です。
そもそも仏教派、神道派、儒教派が主な国ではProshipperという概念ではありません。攻め/受けがどうか、カップリングが実際の作品の側面に沿っているかなどがあります。もしこの概念が普遍的であれば、おそ松さんはもう少し異端として扱われているはずです。
問題なのは、この概念が存在しない国の人々でさえ押し付けていることです。
日本はもとより、中国台湾、韓国などが標的になります。
それは母国語で発信しているものでさえ引っ張り出されて晒し上げにされたりします。
当然のことながら彼らにProshipperの概念が無いという懸念はありません。ただこの文化を「気持ち悪い」との言葉を押し付けられて攻撃されるのみです。「文化の気持ち悪さ」を「こちらの文化で正そう」とします。
これらを行う人々が若いという側面でも、キリスト原理主義者や学徒層だからではないかという意見も存在するほどです。
多様性の訴えが響くのか?
さて、昨今流れてくる多様性とこの話は合致しません。
多様性はこのような層はむしろ嫌いであるでしょうし、この層のせいで子供や近親相姦による親兄弟から虐待を受けた人々を透明化したり野放しにするのも野暮な話であるのもまた現実かもしれません。
それはそれとして、そんな精神でマジで多様性を守るつもりがあるのか?って話です。
そもそもProshipperという概念はある意味多様性を認めるという姿勢です。
それを自殺教唆をし実際に排除して本当にLGBTQ+の人々を認めたり、黒人差別黄色人差別から守れるのか?多様性に従えるのか?ということです。
Don't exclude us, invaders.
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?