#07心がパリにいた時の話
戦闘機ではなく絵画を。
戦争ではなく平和を。
私がマハさんに出会ったのは、2021年ちょうど一年前の秋。
art mysteryの分野に足を踏み入れてから早一年。
私はマハさんのお陰で、たくさんの新しい世界を見れた。
その中でも上半期、暇さえあれば19世紀のフランスで過ごした。
至極の4冊。
かつて、一枚のタブローや一人の画家に見惚れた人々が
時代と場所を超えて、情熱をぶつけ合う世界の数々。
たった一枚のタペストリー。
されど一枚のタペストリー。
ピカソは戦闘機ではなくタブローを振りかざした。
混乱や不安に苛まれる人々の声なき声を、
アートという武器を使って世の中に反旗をは振りかざした。
そしてそれを、救い、追い続け、時代を超えて
万人に伝えようとした人達がいた。
何が真実かはもう、誰にもわかる事はない。
けれど、あの時、あの瞬間彼らの見ていた景色や
彼らしか感じられなかった感情や物語を
一枚のカンヴァスに詰め込んで、時代を超えてきた。
その先にある、新たな時代を生きる者たちに、
矛盾ばかりの真実を隠して。
その真実を、いつか見つけて欲しいという声を
押し殺して生き続けてきたカンヴァスたちの、
背負っている物語の本当の真実は誰にも明かせない。
その明かせない真実を、語り継ぐ者たちがいる。
大きな時代の流れの中で生き抜いてきた、
印象派と呼ばれる、ある種の超凡的な画家たちは、
不安定な状態で生き続けていた。
彼らの生み出す色彩や表現は確実に人々に衝撃を与え続け
彼らは友人も家族も、自分自身さえも心の底から満足に認められず
心身をすり減らしながら、絵を描き続けた。
そして、その絵を守る人々がいた。
世間からの価値を得られないその絵を、
自らの命をかけて愛する人々がいた。
新進の芸術 の海に乗り出す船に乗り、
新しい時代を進み続けた日々は、
戦いばかりの19世紀を超え、20世紀へと渡った。
その先に、芸術の祭典の創設者たちが待ち受けていた。
艦隊ではなく、美術館を。
戦争ではなく、平和を。
21世紀を生きる私が、
大きな海原を渡ってきた芸術たちに、
文字で惚れさせられた。
何を作るにしても、何を手に入れるにしても
何かを成し遂げるにしても、何かを失敗するにしても
私たちが生きるこの世界の常識的世界線では、
一瞬で何かが生まれる事はあり得ない。
全てのことに、
発想、行動、過程 が伴う。
悲しいほどに、人1人の力は僅かばかりで。
それはきっと、絵画も同じだ。
どんなに情熱をカンヴァスにぶつけても、
見つけ出されなければ、いつかそれは消えてなくなる。
私たちが知らず知らずの間に、
他の人の力を借りて何かを成し遂げているように、
絵画もまた、見つけてくれる人が存在して初めて日の目を浴びる。
私が生まれる遥か前の時代、
どんなに世界が物理的に戦うことに染まっていても、
心を動かす絵画や芸術に時間を費やした人がいた。
どんなに批判や批評を浴びても、
自分の信念に従って、時代には逆らう人がいた。
限られた自分の時間の中で、私はもっと正直に生きなきゃいけない。
例え目に見える形で今すぐに何かが変わらなくとも、
自分の直感に従い続けた人々がいたからこそ、
新たな時代の象徴として、残り続けるメッセージを受け取ることができた。
なんでも手に入るこの時代に、
本物を手にできない世界がある。
アルルの部屋にいるときも、
MoMAで会見をするときも、
宝石箱のような夏の庭にいるときも、
この本が終わるまで、ページを捲るたびに
私はパリに近づけた、もうパリにいた。
時代の流れも、
絵画の魅力も、
人1人の人生のあり方の種類も、
教えてくれた、私の知らない世界を。
私が生き続けるこの先、
何かの目撃者にならなきゃいけないわけじゃない。
けれど、私が見たいものから目を逸らさずに生きて行きたい。
同じタブローがこの世にないように、
同じ時間も、同じ人も、同じ空間もないのだから。
fin.
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