今だけは

「うわっ!」

『ハハッ!雪道で転けてる人、初めて見た。』

「...笑うとか...信じられない...」

『...ごめん。はいっ、』

「えっ、あっ、どう...も...」


こんな雪道は慣れている。

冬になれば雪と共に過ごすような街で生きてきたのだから。

けど、歩き慣れてない大都会で自分を消し去ってるかのようなスーツとコートを着て慣れないヒールの靴を履いていたせい。この大失態は。

こんな惨めな姿を大勢の人が行き交うなかで晒したのに、だれも気にはとめない。

なのに、この人だけは......

笑われて気分が悪いはずなのに、その笑顔に心の奥がヒリヒリと反応してしまった。
そして、じわじわと身体が熱くなる。

私を起き上がらせようと差し伸べられた手。

その手に触れたらきっと...

今日たまたまここで会った人なのに...







「あっ、雪......」

『ほんとだね、雪だ......』

均等に並べられて最小限に光る高速道路の灯そこにちらちら映る雪


午前5時半


『大胆に転けてたよね。あの時』

「そうだね。ものすごく笑ってたよね」

『うん。だって漫画みたいに転けてて、それに』

「それに?」

『生まれて初めてだったんだよね。会った瞬間に身体の中に稲光り?みたいな衝撃きたの』

「ふふっ...なに、それ」

『ほんとなんだって。今でも、覚えてる』


まだあれから1年しか経ってないのに、10年以上も前のような出来事に感じるのはなんでだろう。

今だって、会って触れ合えば身体は気持ち良く溺れてく。空を舞うかのように。
お互いの温もりを確かに分かち合えてる。


『あっ、これ。好きだって言ってた曲じゃない?』

「ほんとだ......」


車の中のラジオから流れてくる
私の大好きな曲
あの頃はただただ好きで聞いてただけなのに今は違う。
気を抜いてしまうと涙がこぼれる。


恋人って言ってもよかったのかな。
夜だけにしか会えなくて愛し合えないけど。夜だけでも恋人になれてたかな?

会えるだけでもよかったのに。
いつからか、朝焼けとともに見える目的地である家に帰るのが嫌だった。

高速を降りずにずっとずっと目的地などないまま走り続けて欲しかった。
ずっとずっと、一緒についてくる灯を眺めつつ私を隣に乗せて走らせる君の横顔を見ていたかった。


「......愛してたよ」

『ん?どうした?』

「......んん。なんでもない」


好きじゃない。
家族や友達に伝えるその言葉ではない。

あの笑顔を見た時から名前も年齢も何もかも知らないけど、君への気持ちはちゃんと愛だった。

言わなきゃいけない言葉。
お互いわかってるのに。

朝が来るたびに言おうと誓うのに
『またね』の言葉を口移しで伝えてくるから、唇が塞がれて言えない。
って言い訳してる。

でも、もうそろそろ......

「あのさ、」
『ん?どうした?』
「......んん、、、なんでもない」
『そう?』

朝が来なければいい。
そう、朝が来なければ。

フロントガラスの遠くには紺色の空から少しだけ橙の光が零れてた。

私に、朝が来なければいい。
そう。朝が来なければ。

そう言い聞かせて、そっと目を閉じた。

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