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恋愛とは

 友人が少しずつ変わっていってしまう。これは私が変わっていなさすぎるのか、それとも友人が変わりすぎてしまったのか。よくわからない。

 私は友人が少ないと思う。私の友人相関図を作ったら至ってシンプルなものになると思う。私の友人同士に接点が全くなく、基本的に二人きりで会うことが多い。学生時代よくあるグループみたいなものはあまり属していなかったからだと思う。

 多分そういう性質の人と仲良くしているから、必然的に考えが似ている人が多い。私の友人を一斉に集めたら多分そこそこ盛り上がると思う。それくらい、みんな結構傾向が似ている。
 私の友人は基本的に何か強く好きな物がある。好きな物はみんな色々だった。ジャニーズが好きな人もいれば、お笑いが好きな人、ファッションが好きな人と様々だ。
 私が知らない分野の話であっても、みんな熱量があるから面白い。私も同じくらいの熱量を使って相手の知らない私の好きなことの話をする。

 そんな趣味がバラバラな友人達とは恋愛に関する話を一切してきたことがない。私も友人も皆恋愛という未知数なことがわからない。
 先日、中学の知り合いが結婚した。齢23にもなると、人生の節目を自らする人が増えるだろうか。その決断が出来るということに驚いた。各所友人らにそのことについてどう思うか聞いた。答えは皆、「自分ではできない」だった。

 私自身、恋愛というものがわからない。昔はわかったのに、今はわからない。「彼氏が欲しい」という人がいいる。彼氏って出来るものじゃなくて作るんものなんだって思う。私は友人が出来る時、わざわざ友人に気に入って貰おうと行動をして、「友人になってください!」だなんて言ったことがない。また、疎遠になって一切連絡の取っていない友人にもわざわざ「別れよう」だなんて言ったこともない。なんて不思議なんだ恋愛とは、と思うのだ。

 しかし、最近になって私が変わらなさすぎるのではないかという風に思えてきた。全く持って新しい人間関係を構築しようとするどころか、仕事を辞め、趣味に没頭し、申し訳程度に家事をする毎日。刺激は全て誰かの創作物で得ているから不思議と退屈なことはない。そんな呑気な暮らしをしている間に、友人達は様々なことに挑戦しているようだった。

 私の少ない友人のうち二人に彼氏というものが出来たらしい。
 らしいというのは一人はマッチングアプリで数名と会っては付き合い別れるというものを一か月単位で行い、もう一人は現在も恋愛感情というものがわからないとのことだった。
 初めて言われた瞬間、どうしていいかわからなかった。「おめでとう」も「よかったね」もなんだかしっくりこなかった。良い事なんだろうけれど、未知数過ぎてわからなかった。フィクションのことのようだった。言われてから暫く経っているが、今も現実感がない。あくまで他人の私に現実感の有無なんて必要ないと思うけれど。
 だから言われた瞬間はうまく飲み込めなくて、訳の分からないことを言った気がする。とりあえずアルコールが必要になったからコンビニに行って酒を買い足した。

 私が変わらなさすぎるのか、23歳、9月で24歳になるのだけれど、私も特定の誰かと付き合うということが出来るようになるのだろうか。正直無職でいることよりもそう言った変わらなさすぎる私に絶望する。

 「花束みたいな恋をした」という映画を見た。坂本裕二が脚本のドラマが好きだったのでずっと気になっていたが、あらすじからして私には大分刺さってしまうのではないかと思って暫く避けていた。
 結果として、見てよかった。とても好きな部類だった。けれど、あまりに主人公たちが形成してきたものたちがわかりすぎて、それ故にしんどかった。仮に私が恋愛をするとしたら、ああなるのかもしれないなと思った。

 頭がぐちゃぐちゃになっている状態で書いたから、何が言いたいのかよくわからなくなってしまった。嫉妬とも違う、喪失感とも違う、よくわからなくなってしまった。
 無職で恋人のいない23歳なんて何かの物語の題材にでもなりそうだけれど、現実は何かに打ち込むわけでもなく、配信の映画を見て、住民税の支払いにイラッとして、何にもないな自分とだけ思う日々を過ごしている。


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