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私の調教部屋。

SMプレイルームというのは一般的にもポピュラーなもので、空間を創った人のこだわりが細部まで現れているものもあれば、テンプレートのようなSMチックな部屋。風俗店舗でよくあるような物やAVからヒントを得た内装等様々です。

今日は、数ある調教部屋の1つとして唯一無二として自信がある、私のプレイルームについてお話します。

写真を載せようと思いましたが、転載されたら嫌ですし、大切な空間なので想像力があれば写真が無くとも見れるよう詳細に綴っていければと思います。


何故こだわるのか

SMを覚えたての頃、プレイへの興味と好奇心がが溢れ出していた私は、こだわりよりも見聞を広める事に必死で夢中でした。

プレイする回数も多く、プレイする人数は選ばず、練習を兼ねてしていた時期で私の下積み時代ともいえます。

そんな経験から単なるプレイに対する欲は消え失せ、個人で奴隷を飼育し、プライベートを優先しながらの主従関係を築く楽しさを覚え今に至り、プレイの回数より1回の質にこだわる面白さを知りました。

積み上げ、準備して行う日と当たり前のような1日では天地の差があると思います。故に、風俗に通うマゾの辛抱の無さを好みません。

私は、数より質だと確かな道を当たり前に気付き「質とは何か。」について考えました。

※質とはプレイの質のことを指します。

男女の性行為の良いセックスというのはどういうシチュエーションから生まれるのかと考えると

戦場から帰った兵士が過ごす一夜、最後の夜

待ち詫びた1日、織姫と彦星等

我慢と辛抱と窮地と、何か強いストレスの後にこそ燃え上がるものだと思います。

毎日家に居た異性に欲情しないのは、存在全てが当たり前になる事からで儚さがどこかにあるときっと燃え上がる。と考える事ができます。

故に、ワンナイトラブや不倫で身を持ち崩し、大切な人を失う馬鹿が多いのかと。刺激的な生き方を求める事を否定しませんが、誰かを傷つけて得る快楽というのは続けていくことに限界があると思っています。


話が逸れました。

つまり私は質を求めるが故に、射精管理もプレイの質を高めるために強制する訓練の1つとして私は好んでいます。

射精する事も我慢する事も。特に大きな違いはありません。

一般的な人間からしたら排泄したかしてないか、ぐらいの違いだと分かっています。が、私がプレイを楽しむために必要だと信じるからこだわって行われます。

面倒くさい言い回しをやめると

私が質を求め、こうして調教部屋について書き綴っている私の目標は何なのか。

それは、SとMが相反する関係だからこそ楽しめるSMプレイを通して意識で融合し、脳で信じられないぐらいの快楽を得たいのです

分かりやすくいうと2つの考えが明確にあります。

①私がプレイを楽しむためだけに頑張った儚いマゾへのご褒美と自身が求める淫靡で官能的な世界を楽しみたい

②非日常をたっぷりと味合わい、味合わせ溶け合いたい。


その為に、空間こそプレイの質を高める上で最も重要な基礎だと考えます。

空間の大切さ

日常を過ごしていると、私たちは五感によって支配されています。

視覚(目)・嗅覚(鼻)・聴覚(耳)・味覚(口・舌)+触覚

五感を通して日常を繰り返し、泣いたり笑ったり怒ったりして生きているのが人間という生き物であると。

その人間がもつ感覚を更に高めるためには日常を切り離す必要がとても大切で、誰もが気付くことですが、多くの人はこだわりを持たず日常の中で生きて非日常やアブノーマルな考えを隠してしまいます。

では、これを読む貴方自身も空間の大切さに気付いたと思いますので今回の本題である私のプレイルームについて書いていきますね。

感覚を奪う

プレイルームではテレビやPCは当然、スマホの電源はオフ。

時計や時間の分かるも朝昼夜を認識させる太陽と月の光。

周囲の音など、外部からの情報をすべてをシャットアウトします。

時計は一切置かず、自然光を一切シャットアウト。部屋は完全防音。隣人の気配や周囲の雑音それらすべてを徹底して排除します。

社会で生きているなら誰しもが、曜日を意識し、時間に追われ何かを常に考えながら没頭する時間が無い。

何も考えなくて良い。という時間を持つことこそが難しく、その状況下だからこそ生まれる事が多々あると実感しています。

物体や意識の中で誰にも邪魔されない空間が私自身の非日常のスイッチが持続し、頭の片隅にある雑念を無くすことこそが本来のサドとマゾの在るべき姿を演じず、ただありのままに全てを晒け出せるのです。

視覚と触覚

マゾと話していて必ず聞かれることの質問として

「プレイの際は衣装はこだわりがあるのですか?」とよく聞かれます。

無粋な質問ですがその質問の深層心理は

マゾならだれもが憧れる、ボンテージやラバー、ブーツ等のSM女王様という存在そのものに対する羨望の意識でありSMが好きならば当然だと思っています。

実は、私がSMの世界に目覚めたのはボンテージを着た瞬間でした。

突然スイッチが入ったかのように雷に打たれたような記憶があり、それ以来コレクターのように集めています。

ファッションは日常を切り離し、誰しもが何者にでもなれることが出来るアイテムの1つで、SMにおいては特に重要だと考えます。

ボンテージを美しく着たいから肉体を磨いていると言えるほど愛している私は、ラバーの質感や触覚は私自身の特別な1日を知らせてくれるスイッチのようなもので、何かに触れたくなる感覚は日常では手に入れられません。

そこまでのこだわりを持つミストレスはどういう顔、スタイルなのか気になると思います。

お見せしましょうか?

嫌です。

本奴隷にも私の写真は1枚も保存させず目に焼き付けなさい。という事を大切にしています。

不特定多数が見る公の場で貼るわけがありません。

しかし、「目に焼き付けなさい」という言葉の意味は全て調教日になればわかります。


狂気から学んだこと

少し、私の昔話を話します。

18歳の頃本物のストーカーの女の子の家に行き、誰にも見せたことのない部屋を見せてもらったことがあります。

そこには、恋焦がれてる職場の上司の写真をA4サイズでプリントアウトした写真が壁一面にびっしりと貼られ、1LDKの部屋の1室はアダルトグッズが散乱し、狂気に満ちたオナニー専用部屋のような物でした。

当時からSだった私は「普段やってるようにオナニーしてみて」とその子のオナニーを見せてもらったことがあります。

「手を抜いたら、周りに言い振らすから、私が怖いと思うぐらいこの部屋でいつも通りのオナニーしてみて。」と、別にそんな卑怯な事はするつもりはなかったですが悪いことをしているという心理を利用して言いなりにしようとしました。

その子はきちんと職をもち、一人暮らしをしていてまともに見えはするものの内面はもうすっかり現実と妄想の区別がつかないぐらい壊れてます。

現代で言うサイコパスでしょうか。(私は変態と呼びますが)

脅しなのか見てもらえることに喜んだのか、心情は定かではありませんがその狂気じみた部屋でのオナニー鑑賞が現在の私の空間を創る上での参考になっています。

そのオナニーは白目を剥きながら逝く為だけの激しい、上司のものであろう乾いたぼろ雑巾の男性用パンツを床に置き、トリュフを探す犬のように床に這いつくばり、激しく、雑に、淫らに自分自身の女性器を扱う姿が印象的でした。


ストーカーから学んだ2つの事。

(当日は笑ってましたが今となっては学びに変わっています。笑)

1つは、愛した人のしみ込んだ匂いはいつか消え微かな香りを手掛かりにいつまでも興奮出来る事を。

もしもそのストーカー行為をしているターゲットの上司を椅子に縛り、ストーカー女へ餌を与えた場合、最初する行為はキスでも恐らく匂いを必死で嗅ぎ続けながらしばらくの時間、幸福感を得るであろうと。

私は、他記事でも書いている通り、匂いは記憶に残るものであるからこそそれを利用するために会えない期間は匂いを嗅がせることを好みます。(気分だけど)

嗅覚は、空間とはまた別の話かなとも思うのと、説明すると長くなるのでまた別記事で。

長くなりましたが学んだことの2つ目について、勘のいいマゾは察したかと思います。

ワントーンの色のあまりない壁そこに私のありとあらゆる写真を額縁に入れて飾ります。シンプルですが常人が考え付かないと思います。

友達のカメラマンに撮らせたボンテージコレクションを着た私の写真が㉚~㊿は額縁に入れて飾られます。

私は私の事を愛してます。世界で1番自分の事を愛しています。

しかし日本で自分の事が大好きというスタイルは、ビジネスや人間関係でうまくいかず謙遜、謙虚などが重んじられる日本ではあまり表に出していません。

私も社会生活の中で封印している自己愛を爆発させ、狂ってるかもしれませんが、目に映る全ての視界を私で埋め尽くすとマゾ自身の心に一生刻まれる楔のような体験になります。

恐怖を与えるぐらいの自己愛をさらけだし、ふんだんに愛した主人から調教を受ける。

部屋中の何処を見ても私と目が合う。

そんな空間こそ1対1で行う以上のプレイになると考えています。


全ては非日常のため

五感全てを私で埋め尽くした上でのプレイこそが本当の支配であり、非日常としてのプレイなのではないか。

何度も同じような事を言いますが、生きている限り非日常を得る行為は安易ではありません。特に目から得る情報は重要です。

1度のプレイで一生心に残るような、ご主人様に仕えて良かったと思うような体験、努力したからこそ見れる世界を見せてあげれる事こそが

私の考える飴と鞭。

飴はとっても甘く、1度の経験で全てを超えてしまうような圧倒的体感。 

深く刻まれる私の全てと姿、表情、匂い。

日々、主人の為に頑張ってきたマゾに対する褒美。

その空間で行われるプレイはこの記事の評判が良ければにしましょう。

書きたい内容はまだまだたくさんあります。


これを読んだ読者の方も是非プライベートで大切なパートナーがいるならば

嘘みたいにこだわった最高のおもてなし空間をマゾならば奉仕の気持ちで創れるようになればいいですね。

愛情は言葉ではなく、行動だと思っています。


今回は無料記事にしました。

次回はもっと生々しいエロに特化した内容にしようと企んでいますが

また気が向いた時に会いましょう。



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