見出し画像

129 :「数」を自由に操作することない「予め吹き込むべき音響のないレコード」

Illustratorで描く「ギザギザのライン」は,グラフィックの「ギザギザのライン」としてディスプレイに表示されているが,城にとっては,それは音を発生させるためにレコードプレーヤーや蓄音器の針を振動させるための「ギザギザのライン」でもある.城にだけ,あるいは一度は城の「予め吹き込むべき音響のないレコード」を体験した者は,見えている「ギザギザのライン」が音を発生させることを知っているので,そこに音を聞き取るかもしれない.しかし,多くの人にとっては,それはグラフィックソフトで描かれている「ギザギザのライン」でしかない.

城が描く「ギザギザのライン」のもとは数値データであり,データが演算されて,ディスプレイに表示されている.

ベクター形式とは,コンピューターで画像や文字などの2次元グラフィックを数値化して表現するデータ形式のこと.2次元グラフィックを,点の座標とそれを結ぶ線などの図形要素に関する数値データを元に表現する.

城と同じように音を中心にしたアーティストでもあり研究者でもある久保田晃弘はデジタルで制作する際に「数値データ」を重要視して,次のように書いている.

数という素材が持っている重要な特徴の一つに「形式からの独立性」があります.いいかえれば,数は数のままでは表現形式が決定しない───つまり「表現の不確定性原理」です.これまで用いられてきた伝統的な素材のほとんどは,形式と密接に結びついていたました.立体に適した素材,平面に適した素材,視覚表現に適した素材,聴覚表現に適した素材と,表現形式と素材のカテゴリーの間には,強い相関がありました.さらに,立体,平面,視覚,聴覚といった表現形式によって,彫刻家,画家,写真家,音楽家といった,さまざまなジャンルの肩書きがつくられてきました.
しかし,数の前で全ての表現形式は等価です.デスクトップの上では,サウンドより画像の方が優位であるとか,画像よりテキストのほうが優位であるということはありません.キーボードやマウスなどのデバイスを持ったGUIを介して,画像も,サウンドも,テキストも,デスクトップという同じプラットフォームの上で対等に扱うことができます.数という形式から独立した共通の素材をもとにしているおかけで,デスクトップ上では,さまざまな表現をシームレスに生成,操作できるのです.ある一つの形式にとらわれずに,表現について考えることが可能になったのです.
Design 3.0:デジタル・マテリアリズム序論

久保田が書くようにコンピュータは「数」を扱うがゆえに「形式から独立」できる.だから,コンピュータはあらゆる「メタメディア」として,ひとつの数値データを様々な表現形式で示すことができるようになっている.しかし,城は「ギザギザのライン」という視覚的表現形式を聴覚的表現形式に操作するときに「数」を経由しない.もちろん,「ギザギザのライン」のもとにある「数」をコピーして,レーザーカッターやカッティングプロッターに送っているので「数」を使ってはいるが,できる限り「ギザギザのライン」という視覚的表現形式を保っている.「数という形式から独立した共通の素材」を可能な限り「ギザギザのライン」という視覚的表現形式として扱いながら,最終的には聴覚的表現に変えるのだが,その最終的に視覚から聴覚へと変換されるときには「数」はでてこない.デジタルデータではなく,「ギザギザのライン」が物理的に針を振動させて,音を出すようになっている.城は「数」を使って「ギザギザのライン」を描くが,そこで自由に聴覚的表現形式に変換できるはずの「数」は最後まで「「ギザギザのライン」という視覚的表現形式で処理されていく.だから,最終的に「予め吹き込むべき音響のないレコード」としてカッティングされた紙やアルマイトは,聴覚的表現としてよりも,視覚的表現として存在としてしている.そして,レコードプレイヤーや蓄音器にかけれられときに,物体の振動が音をつくりだし聴覚的表現が前面に出てくるが,それは源河が指摘するように「見たり触ったりできるもの」であり続けている.城のつくる「予め吹き込むべき音響のないレコード」は「数」を自由に操作することなく,視覚的表現と聴覚的表現を行き来しているモノなのである.

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?