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109:触れる対象がない「奇妙な触覚」

私たちが使用しているグラフィカル・ユーザ・インターフェイス(GUI)はイメージに対する「操作」を導入して,「視覚」と「触覚」とが隣り合う場として機能したからこそ,あたらしい「視覚」と「触覚」とのバランスをつくりだし,「奥行き」とは異なるウィンドウの重なりによる「向こう側」を意識させる平面をつくることに成功した.しかし,正面から見たGUIには,複数のウィンドウのあいだに「隙間」はなく,そこには「シミュレートされた重なり」があるだけである.「シミュレートされた重なり」は「視覚」としては重なっているが,「触覚」としては重なっていない.​​このよう状況で,GUIを正面から体験しているユーザは,複数のサーフェイスの重なりを認めて,それらを入れ替えながら,「視覚」と「触覚」とが隣り合って生じるあらたな感覚を蓄積していく.​​

​​永田康祐やアーティ・ヴィアカントといったPhotoshopなどの画像編集ソフトウェアをツールとして当たり前に使用する作家たちは,「シミュレートされた重なり」を操作不可能な一枚の写真に接着した作品を多く制作している.それらの作品は,見る人に「何かしらの操作が行われたのではないだろうか」という「問い」を抱かせてしまう.なぜなら,ユーザに蓄積されているGUIを経由した「視覚」と「触覚」とがあらたに交じり合った「向こう側」への感覚が,作品に否応なく反応してしまうからである.見る人はその「問い」に抗うことができないまま,作品のなかに「操作履歴」を見出そうとする.しかし,作品には「触覚」と密接に結びついた「操作履歴」を見出すことはできないので,「問い」とともに生じた「操作履歴」は行き場をなくし,作品を見る者のなかに触れる対象がない「奇妙な触覚」として残り続けるのである.


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