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163:📱🔗💻exonemo / Realm-UN-DEAD-LINK01

東京都写真美術館で開催されているエキソニモの個展「UN-DEAD-LINK[インターネットアートへの再接続]」を見てきた.展示されている《Realm》と《UN-DEAD-LINK 2020》についての紀要論文を書きたいと考えているので,これから,そのメモを兼ねて,展示と作品について毎週末にテキストをnoteに書いていきたい.

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展示室に入って,一番最初に目に入ってくるのはおそらくこの《DISCODER》ではないかと思う.多くの人が似たような写真をinstagramで挙げている.今回の投稿では《DISCODER》の考察ではなく,この写真に写っていない部分を考えたい.

展示室に《DISCODER》をはじめとして,《HEAVY BODY PAINT》と《Fireplace》が飾られている突き当たりの壁までエキソニモ作品が展示されている.展示はこれですべてではなく,《HEAVY BODY PAINT》の左側にまだ続いている.そこに展示されているのが,インターネットアート作品の《Realm》今回の展示に合わせて制作された《UN-DEAD-LINK 2020》である.

(作品画像は⬇️のオンライン会場で見ることができます)

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《Realm》と《UN-DEAD-LINK 2020》とが最初は見ることができない位置に展示されているのは,私的にはとても興味深いものであった.展示室に入ってすぐのところに展示されている《KAO》,《FragMental Storm》,《DISCODER》などは「#Internet」とタグづけされている.その後,「#Internet」のタグ付けが少なくなり,「#Interface」のタグが多くなる.私は「#Interface」のタグが付けられた作品に関してのテキストを多く書いているので,この部分の作品にとても愛着がある感じがする.そして,展示室の左奥に展示されている《Realm》には「#Internet #Platform #Interface #Boundary」,《UN-DEAD-LINK 2020》には「#Internet #Random #Boundary」のタグが付けられている.この二つの作品に共通するタグは「#Internet  #Boundary」である.そこで,「《Realm》と《UN-DEAD-LINK 2020》とが最初は見ることができない位置に展示されている」ことの何が私にとって興味深かったというと,エキソニモの作品の「メディア」と言えるものが大まかに「インターネット➡️インターフェイス➡️インターネット」という流れなっていて,この流れにおいて,「インターネットアートへの再接続」される二つの作品が最初は見えないということは,何か意味があるのではないか,と考えたからであった.

《Realm》と《UN-DEAD-LINK 2020》は「#Internet」とタグ付されているけれど,それは「#Interface」を経たあとの「#Internet」であって,初期の「#Internet」とは異なると考えられる.エキソニモの「#Interface」の作品群で出てきた問題意識,エキソニモはどのように問題意識を設定しているかは分からないが,私はこの問題意識を「鑑賞者の認識をハックする」と考えていて,それを「#Internet」に拡張しているのではないか.

Spiritual Computing (Series) 2009
祈:
コンピューターに接続された二つの光学式マウスを合わせたオブジェ。それぞれのマウスが発する光が相互に干渉することで、デスクトップ上でカーソルが勝手に動きだすことを発見し、マウスが重なった形状から連想される「祈り」によって奇跡が起きたと想像できる状況をそのまま作品化。既製品であるマウスやコンピュータをそのまま彫刻の素材として使用しているが、実体はその中で不可解にやりとりされるデータの流れを想像したり、精神的な活動を連想する行為にある。(強調は水野による)
https://un-dead-link.topmuseum.jp/works/spiritual-computing/
HEAVY BODY PAINT (series) 2016
「ボディ・ペイント」に続いて制作された、ヴィデオ映像が再生される液晶モニターに、直接ペイントをするシリーズ。液晶モニターには,絵具のボトルの映像が映し出されていてその外部はそのボトルの絵具の色で塗りつぶされている。絵具の固まったテクスチャとは対照的に、手持ちカメラの揺れによって映像がかすかに震え、立体的な視覚効果を生み出している。さらに4K(3,840×2,160ピクセル)で撮影された高精細な映像により、モニター内の映像とモニター外の絵画の境界が曖昧になり、鑑賞者にあたかも実物がそこに存在するかのような錯覚を与えている。(強調は水野による)
https://un-dead-link.topmuseum.jp/works/heavy-body-paint/

《Spiritual Computing (Series)》では「実体はその中で不可解にやりとりされるデータの流れを想像したり、精神的な活動を連想する行為にある」,《HEAVY BODY PAINT (series)》では「鑑賞者にあたかも実物がそこに存在するかのような錯覚を与えている」というかたちで,エキソニモは鑑賞者の認識をハックして「実体・実物」を鑑賞者のなかにつくりだしてきた.初期の「#Internet」の作品に関してはこれから考える必要があるが,ここはひとまず,データを操作して起こる「パターン」や「エラー」によって,ヒトとは異なる原理で存在するデータそのものの現れ方を示していたと考えてみたい.対して,「#Interface」はデータそのものの現れを示すことが主目的ではなく,データを見るヒトのなかに「実体・実物」をつくることを目的とした作品が多いと言えるだろう.

そして,「#Interface」を経由した「#Internet」作品である《Realm》と《UN-DEAD-LINK 2020》は,何を問題としているのか.この二つの作品に共通するモチーフは「死」となっている.ここから考えられるのは,「#Interface」でデータを見るヒトのなかにつくられた「実体・実物」と「死」との関係を,「#Internet」というキーワードで考えてみるといいのかもしれない.それは,「死」を「#Internet」を経由して「実体・実物」として認識させることかもしれないし,「#Interface」では茫漠とした「実体・実物」であったものを「#Internet」を通じて「死」という体験?,概念?に結びつけることなのかもしれない.

ここまで書いてきて,私のなかでは《Realm》と《UN-DEAD-LINK 2020》とが最初に見えないことの理由が腑に落ちた感じがした.《Realm》と《UN-DEAD-LINK 2020》は「死」という常にそこにあるものでありながら,「見えない」ものを扱っているがゆえに,最初からは見えない.白い壁=「#Interface」にはつねに.《Realm》の白いモニュメントがプロジェクションされているけれど,それは見えない.《UN-DEAD-LINK 2020》が響かせるピアノの音は聞こえてくるだけで,それは見えない.この二つの作品は,エキソニモの「#Internet」と「#Interface」の作品群を見たあと,つまり,「#Internet」と「#Interface」とを通して得られるエキソニモによる認識のハックを経てはじめて見えてくるものになっている.そこで,私たちは私たちに突如としてやってくる「死」を体験することになるのではないだろうか.

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