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124:向こう側」を感じさせるような一つのサーフェイスとして,世界を一度遮断する

現在,写真研究会での発表のために「写真」について考えているけれど,私はどうしてもデスクトップ画面に戻ってきてしまう.ここでの体験が,どのように表現に影響しているのかを考えてしまう.

今は「奥行き」と「向こう側」という二つの項の関係を考えているけれど,これもまたデスクトップにおける「奥行き」を示す画像を表示しつつ,それとは別のレベルでウィンドウやデスクトップという平面が重なっていて,これらが共存しているのが興味深いことだと思っている.

こんなことを考えていた,過去に書いた紀要論文「ポストインターネットにおいて,否応なしに重なり合っていく世界」で同じことを書いていた.二つのシステムがどちらかに統合されるのではなく,調整されて,共在するような場としてデスクトップを考えていた.そのデスクトップでの作業から,「写真」もまた共在の場となっているのではないか.

論文の結論は以下のように書いている.

以上のことから,デスクトップ的リアリズムの基底にあるのは,単眼が示した統合された世界ではなく,ステレオスコープを覗き込む二つ眼が示したようにあらゆる存在が否応なしに重なり合う世界だと考えられる.そこでは,ヒトとコンピュータ,視覚と触覚,画像とモノ,立体視的な知覚と透視に基づく層状の知覚,論理と因果といった様々な異なる二つのシステムが,一つの絶対的基準に収斂してどちらかを排除するという選択肢がないほどに否応なく重なり合っている.そして,ヒトを取り巻く世界そのものがデスクトップやウィンドウのように物理世界と仮想世界というかたちで有無を言わさずに重なり合っている.物理世界と仮想世界とは違いを排除することはなく,ただただ重なり合っていくのである.この重なり合っていく世界を強く意識して,積極的に表現していったのが「ポストインターネット」と呼ばれた状況なのである.私は前の文で過去形を用いたけれど,それは「ポストインターネット」という言葉についてだけであり,今後は物理世界と仮想世界とが重なりあい,あらゆるものが重なり合っていく状況が自然なものとなっていくだろう.
あらゆるものが否応無しに重なり合っていく世界において,ヒトはコンピュータと協同して重なり合う二つのシステムの調整役を担うようになっている.ヒトの身体は次々に重なり合っていく物理世界と仮想世界と結びつき,その重なり方を変更する蝶番として機能している.ステレオスコープが視覚のパラメータ化から生まれて二つの画像を一つに重ね合わせたように,コンピュータによってパラメータをより精細に制御できるようになった情報とともに,ヒトの身体はこれまで別個に扱われていた二つの世界が一つに重なっていく領域に入り込み,あらたな感覚や思考を形成して,二つの世界の重なり方を調整しているのである.

このような感じで,「奥行き」と「向こう側」という二つのリアリティも共在しつつ,見る人を巻き込みながらあたらしい体験を示しているのだろう.そして,それが「写真」という「奥行き」が強いメディウムでも起こりつつあるのが,現在の状況なのではないだろうか.写真は「奥行き」を示しつつも,「向こう側」を感じさせるような一つのサーフェイスとして,世界を一度遮断する.遮断することで「向こう側」を示す.そして,「遮断」するということを最も体現するのは,そこに印画紙なり,ディスプレイなりのモノがそこにあり,その先が見えないということを意識させると同時に,その先に「向こう側」があることを感じさせることなのだろう.

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