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133:情報と物質とを相関させる網をかたちづくる「ギザギザのライン」

Facebookで城さんからコメントがあった.

132に書かれている,”コンピュータを経由”,[コンピュータを経由した城にとっては,「音(声)を視覚化すること」も「図形を音化すること」も「等価」であった]はまさにMonalisaがそれでした.https://www.ntticc.or.jp/.../research.../monalisa_j.html
水野 勝仁過去に書いたものに助けられながら,《A WAVE》まできて.「予め吹き込むべき音響のないレコード」に戻れたかもしれない🧐www.facebook.com

《Monalisa》の紹介ページには次のように書いてあった.

《Monalisa》は「音を見,画像を聞く」ソフトウェアです.普段私たちが聞いている音は,どんなふうに見えるのでしょうか?また,私たちが見ている画像は,どのような音をしているのでしょうか?このソフトウェアは,そのような視覚と聴覚の相互変換を可能にします.すべての情報を0と1で記録していくコンピュータの上では,音も映像も同等な「情報」として扱われます.このソフトウェアは,情報化が進んだ現代にふさわしい,音と映像の認識を与えてくれるのかもしれません.
《Monalisa: 音の影》2005 永野哲久+ 城一裕

城一裕の「予め吹き込むべき音響のないレコード」は《Monalisa》を経由して考えないといけないだろう.城はすでに永野とともに音も映像も同等な「情報」として扱っている.「予め吹き込むべき音響のないレコード」は「すべての情報を0と1で記録していくコンピュータ」から情報を物質のかたちで抽出している.情報では「音を見,画像を聞く」ことができる,では,物質で「音を見,画像を聞く」ができるのか.これを実践したのが「予め吹き込むべき音響のないレコード」だと言える.しかし,純粋に物質のみで実践しているわけではない.情報としての提示された画像を可能な限りそのままのかたちで物質にすることで,「音を見,画像を聞く」ができる「予め吹き込むべき音響のないレコード」が出来上がっている.

「予め吹き込むべき音響のないレコード」では,コンピュータ内の操作のように音と映像とが同等の「情報」として扱われ,シームレスに変換されているわけではない.「予め吹き込むべき音響のないレコード」を形成する図形としてディスプレイに表示された「ギザギザのライン」と紙やアルマイトに刻まれた「ギザギザのライン」とは情報が変換されたものでもなければ,音を発する物質が示すような振動を介して見ることと聞くこととが同時に起こるものでもない.しかし,二つの「ギザギザのライン」は相関していて,音という現象を形成している.

世界を単に,衝突する原子たちが形づくる網としてのみ捉えてはいけない.それは,同時に原子の総体のあいだに認められる相関性の網であり,物理的な系によってやり取りされる情報の網でもある.位置No.3490/4433

物理学者のカルロ・ロヴェッリは,原子の網と情報の網とが相関して世界をかたちづくっていると指摘しているけれど,「予め吹き込むべき音響のないレコード」における「ギザギザのライン」は相関性の網として機能していると考えられる.なぜなら,それは情報の変換だけで生まれるものでもなく,物質の原子たちのみがかたちづくるものではもないからである.城は情報と物質とを相関させる網をかたちづくる「ギザギザのライン」を描く方法を開発したとも言えるのである.

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