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153:情報をかき混ぜた別の2D情報平面

写真は3Dを2Dに落とし込んだものとして考えられてきた.今目の前にあるものを一枚の平面で表示できるものにしていく.3Dが前提としてあって,それを違和感なく,いかに2Dに落とし込んでいくか.そこで光をとらえた.光でモノを変換させたり,情報に変換したりしてきた.そのとき,モノそのものも,モノの周りの空間も一つの平面に落とし込まれた.そこで失われたのは「空間」である.しかし,写真は失われた「空間」を,見る人に中に再生させる.写真は平面のままであるが,そこにあたかも「空間」があるかのように状態をつくりだす.だから,見る人はそこに着色された平面=2Dを見るというよりは,かつて目の前にあった空間=3Dを見ているような感じになっている.

これを逆に考えてみたらどうだろうか.写真を2Dから3Dを立ち上げるための装置だと考えてみる.3D,目の前の立体的な世界を前提としてない2D平面として写真を考える.もちろん,これはとても難しい.しかし,Photoshopで操作することが可能となった写真は,これまで3Dの世界から解放されているような感じを,私はもっている.写真という2D平面で捨象されてきた3Dの空間そのものを,Photoshopなどでディスプレイで操作されてつくりだされている「写真」は取り戻そうとしているのではないだろうか,と私は感じている.削除された空間が2Dの写真平面=ピクセル平面の操作とともに立ち現れている.

[[January 18th, 2021]] 
これは逆だろう.Photoshopで情報をかき混ぜられるようになって,
空間を削除できるようになったと考えた方がいいのだろう.
3Dに拘束されてきて,否応なく立ち上がってしまう3Dをついに削除できるようになった.

2Dのピクセルの色情報の平面には3Dの立体に変換される情報がもともとあったが,これまでは3D→2Dの流れを前提にしていたあっために,上の情報は逆の流れで用いられていた.3Dが2Dになったのだから,2Dから3Dが変換できるのは当たり前ということである.しかし,理論物理学のホログラフィック理論のように2Dにもともと3Dとなるべきすべての情報があり,写真が示す色情報から3Dの空間が生み出されていると考えてみたい.そうすると,何も操作が加えられていない写真というのは,3D→2Dの流れで,3Dと似た空間を2D平面にしているだけではないだろうか.ここでは,見た目の3Dは表現されているが,実感としての3Dは2D情報平面からは感じられない.ただ3Dと似ているだけの2Dとは異なるかたちで,情報をかき混ぜた別の2D情報平面があって,それが2Dで失われた3Dを「似ている」とは異なるかたちで,私たちに提示できるのではないだろうか.もっと直接的に,2Dに含まれている3Dの情報を示すパターンを探し出すことはできないだろうか.

というようなことを,エキソニモの個展「Slice of the universe」に展示されていた《A destroyed computer mouse, sliced》を見て,その後,写真という平面について考えているときに思った🧐


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