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226:「Tiny Sketches」が示すストーリーテリングの別のかたち
高尾さんの個展「Tiny Sketches」がNEORT++で開催されている.展示を見に行く前に,背鰭さんのこの記事を読んだ.
個展を見に行く前、Twitterで手作業で並べて貼っていく設営の様子の動画をチラ見した時は手でfor文してると感じていたけれど、壁が白っぽく背景のように見えているのは照明じゃなくてプロジェクターで白っぽいカラーを投影している?ように見えた。
これは、function setupとfunction drawもやってる!と勝手に感じた。そんな意図があるかどうかは分からないが、この個展の空間自体もtakawoさんの日頃のコーディングに則ってできあがっているのか、と思ったしコーディングそのものだと思った。
展示風景を見ていて「やけに壁が白いな」と感じていたのだが,そのことを指摘してくれていて,さらには「function setupとfunction drawもやってる!と勝手に感じた」,その意図も,高尾さんとは異なるかもしれないが,私的にはこれ以上のことは書けないなとということを書いていた.ゼミの教え子は鋭い.
そういうことで,大学の同僚なので,神戸でも何度も会って,話していたけれど,展示については書けないでいたら,展示は最終週になっていた.
でも,まだ2日残っているということで,私的に興味深いなと思ったところを書いてみたい,と言っても,背鰭さんが下のように書いていることをなぞるだけかもしれない.
240 daily coding sketchesの最初の方から並んでいる2019年-2020年頃のスケッチの中には見覚えのあるスケッチもいくつかあって、懐かしい気持ちになった。
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設営準備の様子や毎日コードをかく積み重ね自体は重たい日課のように思えたり、イメージとして強固な感じがするが、これらが日常に基づいた日常の一部であるというのがtakawoさんのスケッチの大きな特徴だ。特別ではないものが、特別に見えてくる感じが不思議で面白い。
背鰭さんが書いているように,高尾さんの作品は「日常に基づいた日常の一部」が特徴になっている.そして,その日常をかつてゼミ生として過ごしていた背鰭さんにとっては,「懐かしい気持ち」を感じるものでもある.そして,職場の同僚でもある,私も同じような気持ちを抱く.でも,多くの人はゼミ生でも,同僚でもない.
ゼミ生でも,同僚でなくてもいいのである.私が「Tiny Sketches」を見に行っていたときに,展示を見ていた人が高尾さんに「印象に残っているスケッチはどれですか?」と聞いていた.高尾さんは「これかな.子供が生まれたときに書いたスケッチなんですよ☺️」と応えていて,聞いた人は「そうなんですね.いいですね」と,そこから楽しそうに二人でスケッチのこと,子供のことを話していた.展示を見に行って,高尾さんがいたら,話しかけると,そこから「日常に基づいた日常の一部」を知ることできる.そうすると,高尾さんの日常から,その人自身の日常とが結びついていく.そのような見方ができるのが「Tiny Sketches」の特徴のような気がする.
そんな魅力が詰まったのこのツイートだと思う.Sunnyさんの家には,これから娘さんの日常から生まれた作品が貼られていって,そこから会話が始まるのだろう.
高尾さんからお話聴けて沁みた。
— Sunny / 🏝☕️😊📚⛰ (@imSunny55) May 21, 2022
"これが体調悪い時のやつ"
"これが初めてマスク描いたやつで"
"これが息子が生まれた時のやつ"
自分の小さくも愛しい日々をcodingして表現、artで残っていくってのがたまらない。
できないけどやりたい。とりあえず娘のプリントして壁にはるかな。#tinysketches
会場に行けなくて,高尾さんと話せなくても,そして,展示が終わっても,高尾さんの日常はTwitterにあって,Openprocessingにあるから,日常を辿ることはできる.
個展のページから,今回展示した240個のスケッチのOpenprocessingのページに飛ぶことができる.Openprocessingには日付のようなタイトル,例えば「200129」がついているので,それをもとにTwitterを「@takawo since:2020-1-1 until:2020-2-1」という感じで検索してみると,そのときの,高尾さんの日常を知ることができるので,どんな状況でスケッチが生み出されたのかを想像できたりもする.でも,「Openprocessingには日付のようなタイトル」は「高尾歴」かもしれないので,実際の日付とはずれているかもしれない.
高尾さんの日常とスケッチとを結びつける必要はないけれど,日常のなかで生まれたスケッチだから,Twitterでわかる範囲の日常と結びつけて考えてもいいと思う.そして,ここが高尾さんの作品の一番興味深いところだと,私は考えている.作品のためというわけではなく,彼の日常がTwitterに残っている.そして,それは誰もが検索可能になっている.そして,彼の作品がOpenprocessingに残っていて,これもまた検索可能だし,参照可能になっている.背鰭さんが書く「日常に基づいた日常の一部」が誰もが検索可能なかたちで残り続けているのは,今回展示された240個のスケッチとともに,とても興味深いことだと思う.
このように書いてみると,デジタルデータのみであった高尾さんの#dailycodingをプリントして,壁一面に展示した今回の個展は,Evan Rothが次女の誕生からの4ヶ月のあいだにウェブキャッシュに保存されたすべての画像をプリントして展示する作品《Since You Were Born (2019)》に似ているのかもしれない.
『Since You Were Born』は,テクノロジーに取り憑かれたこの世界において,アート制作,思い出作り,そしてストーリーテリングの別の形を提示しているのです.
ということで,「テクノロジーに取り憑かれた」というのは高尾さんの感じに合わないので,高尾さんはテクノロジーととも生きるこの世界において,アート制作,思い出作り,そしてストーリーテリングの別の形を提示しているよ☺️
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