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人生で初めて気を失った時の話



身内ネタのウケがいい傾向にあるのに味をしめている。

 どのエッセイも人様の目に留まらない事を前提に書いているが、やはり閲覧数やスキの数から読み取れる評価についてはついつい分析せざるを得ない。物理的な数字の計算は苦手なのにこの手の計算は好きなのだ。ほぼ皮算用に終わってしまうのが私の思考の浅はかさを物語っているのだが。
 いつもいつもこんなくだらない文章を読んでくださる皆様にほんの少しでもエンタメをお届けできるなら、私は身内の恥を墓地に送り、とんでもエピソードを召喚する事も厭わない。そこで今回の生贄は姉にしようと思う。


 姉が結婚式に来なかった話を書いたおかげで私の姉に対する評価はインターネット上で爆上がりしてしまった。これについては姉から感謝の印として私に金一封包んでもらってもおかしくないのに、未だに便りがないのが不思議でならない。
 あのエッセイが評判になったおかげでTVの出演依頼や取材が舞い込み、しばらく私のSNSは慌しい日々が続いた。私は顔出しをしない、本名を明かさない事を心に決めてエッセイを書いているので、身バレに繋がるそれらは全て丁重にお断りしてしまったのだが、このエピソードはこんなにもメディアに注目されるような出来事だったのかと測る物差しになり、私も姉も驚いたのだった。

 私が溢れる愛を持って大変お上品な文章で書き記してしまったが為に、読者の方は私の姉へ品行方正なイメージを持ってしまったかもしれない。大変申し訳ないのだがそれが勘違いであるという事をお伝えしてする為に今泣く泣く筆を取っている次第である。



 私と姉は年子だ。ほぼ2歳差だが学年は1つしか変わらなかったので小さい頃から同じような条件で育てられており、その最たるものが習い事だった。姉妹で教育格差が起きないようにとの母親の方針で、どんなに興味のない習い事も姉とセットで連れて行かれた。たとえ血の繋がった姉妹とて、言ってしまえば自分とは違う心をもった他人。興味関心も全く違うので、これは幼いながらになんていらん世話なんだと迷惑に思っていた。
 そんな我が家の方針と、姉が格闘技に強く興味を持った事、また家から歩いて1分足らずの所に道場があるという悪条件が重なり、私まで極真空手を習うハメになってしまった。


 ご存知ない方に説明すると、極真空手とは組手、いわゆる寸止めなしの殴り&蹴り合いのある格闘技である。
本気の拳や蹴りが肉体を撃つその迫力たるや、ひらがなも書けないちびっ子の私がビビり散らかすのには充分すぎた。
 当たり前だが殴られるのも蹴られるのも痛い。好き好んで痛い思いをする人の気がしれない私は数回通ってすぐにもう嫌だと音を上げ、祖父の膝にすがってオイオイ泣いた。これは今思い返しても当然だなと思う。

 しかしそんな状況を目をギラギラさせ舌舐めずりしながら楽しむ変わり者がいた。そう、それこそまさに私の姉なのだ。

 姉は幼稚園生の頃から極真空手にのめり込み、殴り殴られを繰り返しながら日々そのポテンシャルの詰まった体を鍛え上げていった。彼女の小さな身から溢れ出す闘争心たるや、争いのない平和な時代に生まれてしまった事に同情さえ覚える。できる事なら狩猟時代や戦国時代に生まれ、その命を思う存分燃やして欲しかった。

 忘れもしない、初めての空手の試合の日。
立派な戦闘狂に仕上がった齢5歳の姉は、審判の開始の合図とともに対戦相手の女の子の顔面に右ストレートをぶち込み、一瞬で反則負けの退場を食らった。極真空手は蹴りの顔面は有効だが、拳による突きの顔面は反則なのだ。(いや蹴りはアリなんかいというツッコミは心の内に抑えておこう)

 観戦していた両親があっと声を上げ立ち上がる姿、殴られた頬に手を当て泣き叫ぶ相手の女の子の姿、何故試合を途中で止められてしまったのか理解していないアドレナリンどぱどぱの姉。会場の騒然とする様は20年以上たった今でも鮮明に覚えている。

 そんな血気盛んな姉は恐ろしいことに、その後も文武両道の文字通り研鑽を積み、頭脳に肉体にと磨きをかけていった。


 私が中学生の頃。私が和室で騒いでいたか何かで姉をひどく怒らせる出来事があった。怒り狂った姉が和室の襖をスパーンと開け、「うるせぇ!」と文字通り殴り込みに来た。その姉の迫力たるや、作画に例えるなら“刃牙 -バキ- ”としか言いようがない。死を悟った私が防御の姿勢を取る前に、初試合で女の子を号泣させた姉の伝説の右ストレートが私の鳩尾を完璧に捉えた。
私は激しい痛みと共にそのまま意識を失った。

 それから何時間たっただろうか。
私は目覚めると暗闇の中にいた。意識はあるのに視界が真っ暗で何も見えない。

「死んだ」

私は死後の世界にいると確信した。
遠くにうすぼんやりと、天に向かってまっすぐ伸びる光が見える。きっとあれが天国の入り口なんだ。そう信じた私は腹の痛みを抑えながら匍匐前進で進んだ。急所にダメージを喰らうと痛すぎて立てない事を学ぶ。【きゅうしょにあたった!】の一文と共に今まで私の手元で散っていったポケモンたちの苦しみを身に染みて体験した。

 どうにか辿り着いて光に向かって手を伸ばすと何やら固い壁に触れた。これが天国の扉か、私が最後の力を振り絞ってその扉を開けるとそれは我が家の和室の襖だった。
 なんと姉は気絶した私を心配する事なく放置し、ご丁寧に電気を消して襖まで閉め、妹の存在まるごと無かったことにしていたのだ。こんな大事件にも慌てない姉の座った肝っ玉には震え上がった。こやつもやはりスパイの孫。普通自分の正拳突きで妹が意識を失ったら動揺するだろうに。

 私が自分の悪行を棚に上げ、死ぬかと思ったと姉に訴えると、彼女は

「死なん程度に手加減しとるに決まっとるやろ」

と表情の一つも変えずに言い放った。
その日を境に、我が家に姉妹喧嘩と呼ばれる諍いは無くなった。


 久々に姉と話す機会があり、この話をすると「全く覚えてない」とケラケラ笑っていた。笑い話ではない。
かなりの年数が経ったので覚えてないのは仕方ないが、やっていないと言い切れるかどうかはその鍛え抜かれた分厚い胸板に手を置いてよく考えて欲しいと妹の私は思うのだった。




(当たり前ですが格闘技をやっている人間が一般の人を殴ったり蹴ったりする事は本来言語道断、決して許されない事です。姉もこれ以降していません。今回の件は怒らせた私も悪いので同罪です。皆さんは絶対に真似しないように!暴力反対!)

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