卵の授業について先生と10年ぶりにお話ししました
先生とは卒業してから10年ぶりに連絡を取る。
沢山いる生徒の中で私のことなんか覚えていないだろうと、諦め半分でメッセージを送ってみたが返事はすぐに来た。
「お久しぶり、もちろんおぼえていますよ」
思わず声が漏れるほど嬉しかった。状況が状況なだけに文章で説明するととんでもない時間と長さになりそうだった為、電話でお話しできないかと尋ねるとすぐに先生から着信があった。
震える手でスマホを握る。
「元気?どうしたの?」
10年もの時が経ち私もすっかり大人になってしまったが、先生の声を聞くとすぐに女子高生だった頃の私に戻った。
私は頭の中で散らばる言葉を拾い集め、この1週間で自分の身に起きたことを全て話した。
エッセイを書き始めたこと、先生の授業の話を書いたこと、楽しかった授業で今でも忘れられないということ。たくさんの人が読んでくれて、授業を褒めてくれて嬉しかったこと。
そして私の表現が至らないばかりに先生への偏見が生まれてしまい、それを申し訳なく思っていること。
最初は久々に先生と話せた喜びで饒舌だった私も次第に胸が詰まって苦しくて、やがて涙が止まらなくなった。自分でもなぜ涙が出るのかが不思議だった。声を詰まらせながら語る私の散らかった話を先生は黙って拾い、聞いてくれた。
長い時間をかけて私が話し終えると、先生はゆっくりと口をひらいた。
「あの授業はね、ずっとやりたいって思ってたんだけど機会に恵まれなくて。エムコさんが居たこのクラスの子たちなら出来る、そう思ってやってみたの。後にも先にも、あの授業をしたのはあの時一回だけなのよ。」
私は驚いた。先生は他のクラスはもちろん今までも同じ授業をしていたと思っていたからだ。
先生は続ける。
「エムコさんのクラスはほとんどが女の子だったでしょう。異性と結婚した子もいたけどほとんどが同姓で結婚した。覚えてないかもしれないけど、あの時シングルを選択した子も居るのよ。」
「どんな形を選択しても、卵を育てる上で色んな感想があった。もし落としたのが卵じゃなくて本当の子どもだったら一生障害が残るような怪我をさせてたかも知れない。もし卵じゃなくて本当の子どもだったら泣いたりグズったりしてもっと大変だったかも知れない。みんなの感想を見て、私はやって良かったなって思ったよ。」
私は先生の話を聞いて、あぁ先生と私は同じ思いだったと安心した。
どんな形を選んだとしても、命を守り育む大変さというものは変わらない。経験したからこそ気づける何かが、あの授業にはあったのだと思う。
その“何か”はきっと受け取る生徒によって違う物となるだろう。しかし私たちなら分かってもらえると思い授業をしてくれたと知った今、先生があの時私たちに寄せてくれた信頼が嬉しかった。同級生はみんな個性豊かで面白いが、自分の気持ちも人の気持ちも大切にできる子たちばかりだった。
先生はあの時も今も変わらず私たちの感じた気持ちを、強制も否定もせず、委ねて見守ってくれた。
私が先生の授業を今でも覚えているのは、私たちが自分の好きなように受け取ってよい授業をしてくれたからだと思う。
そして私は大人から寄せられる信頼の喜びを知った、幸せな子どもだったのだ。
先生はこの授業の事を論文に書いて発表し、賞をもらったそうだ。私はそれが自分のことのように嬉しい。
先生ありがとうございました。
先生の授業を受けることができて良かったです。
【追記1】
最後までご覧いただきありがとうございました。
先生の論文に、当時の私たちの授業を終えての感想がありましたので掲載します。(写真を適当に撮ってしまったので読みづらくてすみません)
【追記2】
いただいたお気持ちはたのしそうなことに遣わせていただきます