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この思いは決して剥がれない



慣れほど恐ろしいものはない。


数年前、過去に例を見ないほどの巨大な台風が上陸するとのニュースでメディアもSNSも大騒ぎになった。我が家の地域にも直撃の予報が出ていたが、私は大した危機感も感じず、家でボリボリ尻を掻きながら慌ただしいニュースを他人事のように眺めていた。私の住んでいる地域は何故か毎度のごとく台風の直撃を免れていたので、アナウンサーの切迫した注意喚起も、私にとってはオオカミ少年のそれにしか感じなくなってしまった。


どうせ今回も何もないさと平常運転で過ごしていた私も、その巨大な台風の洗礼を受けることになる。


台風直撃の2日前。当時大型スーパー内のパン屋で働いていた私がいつものように店の開店準備に精を出していると、オープン前のまだ薄暗い店内を警備員のおいちゃん達が息を切らして走り回っていた。物々しい雰囲気になんだなんだと入り口を覗き込むと、自動ドアのガラス越しにおびただしい数の客の姿が見えた。ガラス越しにわらわらと動く群像はとても人間には見えず、まるでそれが1つの巨大な生物であるかのような不気味さがあった。

店がオープンするや否や、波のように押し寄せた客が陳列されたパンというパンを手当たり次第引っつかんでレジに並んだ。調理もいらず常温保存も可能、その上2日くらいなら日持ちするパンは、ガスや電気が止まってしまった時の非常食として最適と言えよう。スーパーで売られている品より割高なはずなのに、店のパンは飛ぶように売れた。
2台体制のレジもフル稼働で、昼過ぎには全てのパンが売り切れてしまった。長年勤めたスタッフ達が「こんなことは初めてだ」と唖然としている姿を見てようやく焦りを感じた私は、我が家も防災の準備をせねばと重すぎる腰を上げた。

私はパン屋の仕事を終えてから、スーパーの食品コーナーに向かった。賞味期限の長いパンや保存の効く缶詰を買おうと思ったが時すでに遅し。清々しいほど空っぽになった陳列棚は今まさに台風が過ぎ去ったかのようであった。かろうじて残っていたスナック菓子も無いよりはマシだとカゴに突っ込み、ポテチにコーラといった不健康極まりないラインナップを我が家の非常食とすることにした。

次は家の窓ガラスの養生である。
スーパーの品薄に焦り、急いで100均に駆け込むも、入口に貼られた「養生テープは売り切れです、入荷未定」の張り紙が店員の苦労を物語っていた。きっと私のように養生テープを求めて押し寄せた客から、何万回と在庫の有無を尋ねられたのだろう。心の中で店員さんに合掌しながら代わりになるものを探す。細くて頼りないが背に腹は変えられぬとビニールテープ類を物色するも、皆考えることは同じでこちらも全て売り切れていた。

トホホと肩を落とした私の視線の先に、クラフト製のガムテープがころんと飛び込んできた。こうなったらガムテープでも無いよりはマシだ。私はラスト2個だったガムテープと、何かに使えるかもしれんからとプチプチシートをありったけ購入し家に帰った。

オットに戦利品のお菓子とジュースとガムテープを見せ、私がこれらを手に入れるためにどれだけ大変だったかを懇懇と説く。『もっと早くから準備をしていればこんなに大変な思いをすることはなかっただろう』と突かれてしまったらグゥの音も出ないので隙を見せてはいけない。恩は着せられるだけ着せておくに限る。

早速私が窓ガラスにガムテープを貼ろうとすると、オットが

「え?窓ガラスにガムテープ貼るの?跡になるよ」
 
と苦言を呈してきた。あまりに能天気なオットに、私は憤慨しながら

「ちょっとの間くらい大丈夫だよ。今回の台風はね、本当に強いらしいんだから!窓ガラスに跡がつくのと、ガラスが割れて家の中がしっちゃかめっちゃかになるのどっちがいいの?」

と強い剣幕で捲し立てた。ただでさえ危機感のない私よりも更に危機感のないオット。一家の大黒柱が聞いて呆れる。
私はオットの静止を無視し、窓ガラス一面にビッとガムテープを貼った。上下合わせて8枚ある窓ガラスの全てを縦横斜めにガッチリと養生し、その上からプチプチシートを貼って更に補強した。

「ほら、これくらいしなきゃ。過去最大の勢力なんだからしっかり備えとかないと、“万が一”があってからじゃ遅いんだよ」

フンと鼻を鳴らしながらオットにもう一枚恩を着せる。
その後はTwitterで見た、炊飯器いっぱいに米を炊く、風呂に水を溜めておくといった防災対策をひととおり済ませ、来たる直撃に備えた。準備が万端になれば怖いもの無しである。むしろ「かかってこいよ、オラ!」と妙なアドレナリンが出てなかなか眠れなかった。

翌日。窓ガラスがガタガタと揺れる音で目が覚める。強い雨が窓ガラスを叩きつけ、朝なのに光の入らないどんより暗い空模様に胸が高鳴る。まさに準備した甲斐があるというもの。私はリビングでゴロゴロしながら雨風が激しさを増す瞬間を心待ちにしていた。

ところが雨風はいつまで経っても台風らしい強さにならない。まだかまだかと待っている間に直撃の予定時刻を過ぎ、ニュースをつけると私の住んでいる地域はとうの昔に通り過ぎたとの知らせが飛び込んだ。

またしてもしてやられた。
被害がないのは何よりなのだが、ここまで準備したというのに何一つ活用できなかったやり場のない虚しさは、どう消化したらいいのか分からない。ちょっとくらい「対策しててよかった」と思える規模であれば報われるというものの、ただの強めの雨だったことが虚無感を募らせた。私はポキっと折れた心をなんとか持ち直し、炊飯器の中にある大量の米をラップにくるんで冷凍庫に入れ、そのままふて寝してやった。

何事もなかったかのようにいつもの生活が戻ってきた。
普段通りの慌ただしい日々に翻弄しているうちに、窓ガラスに貼ったガムテープは窓のフレームに額装された現代アートとして我が家の景色に馴染んでいた。その気になればいつでも出来る、という私の最も当てにならない気持ちが剥がす手間を遠ざけ続け、気がつけば1ヶ月が経過していた。

そろそろ現状を見かねたオットが苦言を呈し出す時期である。やれと言われたら更にやる気が無くなってしまうので渋々ではあるがガムテープを回収することにした。
爪でコリコリと端を剥がし、ビっと一気に剥がす。気持ちいい瞬間の後に訪れたのは、快感ではなく絶望だった。


なんということでしょう。ガムテープの粘着部分が完全に溶け、窓ガラスと一体化しているではありませんか。薄ら張り付いた紙の部分がまだらになり、貧乏臭さを底上げしています。まるで実家の衣装ケースに貼ったまま取れなくなったシールの跡のような懐かしさ。子ども心を忘れない、匠の粋な演出ですね。

お呼びでない方の劇的ビフォーアフターのナレーションが脳内に響く。こんなビフォアフはいらん。

オットに啖呵を切った手前、己の力だけでこの惨劇をなんとかしなければならない。私はすがる思いで同じような馬鹿をやらかしてしまった先人の知恵を借りるべく、インターネットに助けを乞うた。テープ跡に酢を浸してラップするとよいと聞けば、窓ガラスに酢をぶち撒け部屋中を野球部の部室の香りにしたり、ドライヤーの熱風が効くと目にすれば汗だくになりながら窓ガラスに温風を当て続けた。あらゆる方法を試したが効果は今ひとつで、唯一効果があったのはスプレータイプのシールの剥離材だったが、シュッと一拭きでつるピカ!のようなお手軽なものではなく、お好み焼き屋のバイトのごとく万力で握りしめたヘラでこそぎ落としてやっと綺麗になる代物だった。ガラス一枚を綺麗にするだけでスプレーも私の体力も底を尽きてしまった。ここが分譲マンションなのが唯一の救いである。

あれから数年が経過したが、未だに我が家の窓ガラスはポムポムプリンのケツの穴模様で埋め尽くされている。慣れとは恐ろしいもので、最初は「ほれ見たことか」と馬鹿にしてきたオットも気にも留めなくなってしまった。私も気が向いたらピカピカにすると言いながらも、そんな日が来るわけもなく貧乏くさい窓ガラスを尻目に惰性に満ちた日々を送っている。

ケツの穴の形の影と共に差し込む朝日が、今日も私に自分の愚かさを教えてくれている。

いただいたお気持ちはたのしそうなことに遣わせていただきます