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飛べ今弁慶 元新選組隊長松原忠司異聞篠綾子 著


題に惹かれて読みました。新選組四番隊長松原忠司が、副長土方歳三に、切腹を申し付けられる、ところから始まる。大薙刀を手に禁裏の門を、守護したことから、今弁慶と称された松原忠司。二条城の警護に付いていた時、島津久光公から声をかけられて、伏見の屋敷に招かれた時、忠司は屋敷に仕える奥女中、るいと出会った、そこでるいの奏でる薩摩琵琶の音色に、心を持っていかれた。琵琶を又聞きたいと、久光公の近臣の伊地知に、取り次いでもらい、再び薩摩琵琶を、聴くことができた。二人の付き添いが始まる、慎重に慎重を重ねていたが、るいとのことは、近藤達に知られていた。屯所を西本願寺へ移ろうという、近藤に忠司は、反対した屯所の移転は、近藤を含め隊員たちを増長させる以外、何ものでもない、山南が案じていた方向への組織の暴走。唐突に捕らわれ、尋問の場に引きずり出された。外様の大名家に、仕える女に馴染み機密漏らした。るいは薩摩藩の者だ、禁門の変でも新選組と共に、戦った間ではないか、近藤や土方の権力把握の邪魔になると思われたのだ。るいだけは守らなければならない。忠司は脱走を決意する。切腹の場、逃亡の時は一度だけ、縄目がほどかれ、介錯の者以外が忠司から離れる一瞬、そしてひたすら駆け、るいの家に辿り着いた、共にというが、追手の足音がきこえてきた。後から必ず行く、忠司はいざという時のため、用意していた薙刀をふるい、奮闘したが、新選組の追手はいずれも剣豪ぞろい、もはやこれまでと、切腹の場から持ってきた短刀を出して、腹に刺した。追手の隊士たちが、一斉に切りかかってくる。忠司の意識は遠のいていった。薩摩琵琶の歌詞が耳の奥でかすかになっていた。
忠司は砂砂浜に寝転んでいた。目をあげると松林が広がり、前には海が見えた。自分は切腹したはず、血は無く傷の跡も痛みもない。明らかにおかしい、あの世か、沖合に船が見える、あの世へは川を渡るのではなく海を渡るのか、見ると何艘もある。おおいと、声をかけて来る者がいた。松林の方から歩いてくる、忠司もそちらに向かった、相手は若い武将と見えた。具足や小手を着けた格好で頭に揉烏帽子を被っている。烏帽子などは元服の時に、着けたきりだ。どうしてそんなものを被っているのか、聞こうと思ったが、先に[弁慶殿]と呼びかけてきた。忠司は相手の顔を見た。あだ名を知っているので、新選組の隊士かと思ったが知らない、聡明そうな気品ある顔だち、どことなく冷たい眼差し見覚えはないが、会ったことがあるような気がした。[何をしておられたのですか][海を、いや船を見ていたのだが][あれを海の藻屑とする良策が浮かびましたか][判官殿が呼んでおられましたぞ][判官殿][昼間から浜辺で寝入って、夢でもご覧になられたか]この男の言う通りになることして、あとに付いていった。松林で遮られた所に陣があった。兵士達の甲冑の何と古めかしいこと、見知らぬ人々に見覚えのない場所、判官殿惟宗三郎です、弁慶殿をお連れしました。義経の前に連れていかれた。何とここは長門壇ノ浦、義経の生きる世界だった、本物の弁慶が現れた、忠司は間者と疑われて、捕らえられた。どうしたら平家の船団を、壊滅できるかと尋ねられ、歴史を知っている忠司は、水主を狙って打てばよいと。陣で畠山重忠と親しくなる。京に戻った忠司は再会した重忠に、親戚筋の河越小太郎を、引合わされる、重忠から平家の総大将宗盛の、幼い息子の副将が処刑されるのを知り、助けることに手を貸す、責任者の惟宗三郎の目こぼしもあり、無事副将を救出。重忠の菅谷館がある武蔵国を目指す。落ち武者狩りを柔蹴散らし、忠司と副将は菅谷館に辿り着いた。その館にいた重忠の妹の貞は、るいにそっくりであったので驚く。謎の修験者の言葉により、自分が歴史を変える可能性があるかと、忠司は自覚する。義経のたどる運命を知っており、伝えるべきか迷う、今生きているのは、幕末ではなく鎌倉時代初期だ。重忠や三郎と友情を育む、貞に淡い想いを抱く。訳あって武蔵坊弁慶と闘う。共に平泉へ行く、義経や弁慶と共に、闘うつもりだったが、義経に生きよと命じられる、畠山殿や惟宗三郎殿のもとに、戻るべきだと弁慶も言う。付き合ってくれてありがたかった。だが、最後は我ら主従だけにしてくれ。その言葉に背を押され、燃え盛る館を抜け出した、義経配下でただ一人命を拾う。三ヶ月後、頼朝率いる奥州討伐軍に、加わっていた畠山重忠、惟宗三郎と再会を果たした。十九年の歳月を経た。重忠の菅谷館に鎌倉に参るように、命じる使者が訪れた。鎌倉に異変あり。重忠は武装して鎌倉へ、その中に僧衣をまとい、薙刀を手にした松原忠司もいた。武蔵国二俣川まで進んだ時、鎌倉方面から駆けつけた郎党と、鉢合わせた。[殿は鎌倉にて、謀反人とされております。若君はすでに討たれ、執権北条時政の命令により討伐軍が参ります]重忠はうめくような声を漏らしたが、言葉は発しなかった.(ついに、)忠司は空を仰ぎ、目をつむった。義経を討った藤原氏が滅ぼされ、頼朝も死に惟宗三郎の母方である比企氏も滅ぼされた.その際惟宗三郎は連座し守護職を失い、名を島津とし妻の貞と京で暮らしている。御家人として皆に慕われていた重忠は、北条得宗家から警戒され始めていた。武蔵国の有力な豪族は、河越氏、比企氏、立て続けて命を奪われている。次は畠山の番か、という暗い予感が忠司も肌で感じていた。だからといって、どうにもならないのが、この時代の武士の宿命、(俺があの時、判官殿に殉じなかったのは、畠山殿を助けたいと思えばこそであったのに)どこかで錫杖の、輪鳴る音を耳して、思わず周りを見回したが、一度だけ会った修験者の姿はなかった。重忠は一人静謐、そして言う。進もうと退こうと、我らの運命は変わらない、ならばここで北条軍を迎え撃つ、武蔵武士の意地を見せてやろう。松原殿はこのままここを去ってくれ。運命は変わらぬというが、京から島津三郎殿も駆けつけてくださるだろう、三郎殿は来ない、この先畠山家に何が起ころうとも、鎌倉へは来るなと言い送ったのだ。松原殿の長年の友誼に感謝する。死を覚悟した判官殿も同じことを言った、あの時はその言葉に甘えさせてもらった、この世に未練があり、貴殿や三郎殿の行く末を見届けたいという。[松原殿はやはり、後の世が見えていたのだな]前に三郎殿が口にした、松原殿は今の世より遥か後の世から来たのであろうと、あの時はまさか思ったが、今は分かる松原殿が、私のもとへ来てくれたのは、畠山家の滅亡を食い止めようとしてなのだろう。最後に一つだけ教えてほしい、この先島津三郎殿と妹の貞はどうなる。私の死後も無事でいられるか.[島津家は、薩摩で何百年と繫栄を誇る。知る限り滅びることはない]そうかよかった。俺はこの男と共に、戦い死ぬために、この時代に来たのだ。俺がここで共に戦うこと、許しいただけるな、かたじけない、わが友よ.鎌倉から討伐軍を率いているのは北条義時、忠司はこの時騎馬で参戦した、この時代にふさわしいやり方で、[やあやあ、遠からん者は音にも聞け、近くばよって目にも見よ、我は今弁慶なり]なぜ弁慶がいる、敵兵が動揺した、畠山重忠打ち取ったりもはやこれまでと、忠司は振り回していた薙刀を、しっかりと握り地面に両足踏ん張り不動の姿勢で、立ち続けそのまま他界した.見事な立ち往生を遂げた今弁慶、忠義の厚さに賞賛した.だが、その素性を知る者は誰も知らない。重忠の謀反は濡れ衣と分かり、遺骸は手厚くほうむられたが、素性の分からない、今弁慶の骸は二俣川の戦場跡に、捨て置かれた。後に鎌倉へ帰参が叶った、島津三郎は、二俣川の戦場跡に行き、松原忠司の墓を探した。が、戦場の死者たちを葬った、近在の法師や村人達に聞いても、頭を丸めた僧兵の骸など一つも無かったと言った。戦いの後錫杖を持った、修験者がお経あげていた。あの人に聞けばわかるかもしれないが。その人も何処へ行ったのか、知るものもいない。
実在の松原忠司は新選組の記録では、病死と記載されている。今弁慶の渾名は本当、惟宗三郎忠久は、頼朝の息子と周知であったが、子としては遇されていづ、だから、命を失わず島津家の始祖となる。物語は幕末から壇ノ浦へ飛ぶ、八百年の時を繋いで、島津久光と惟宗三郎忠久、るいと貞、面白く読みました。武蔵武士の宿命。悲劇。


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