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圧倒的な香りの波にのまれて

 例えば、春爛漫の桜の木の下に身を置いた時。
 例えば、カカオが香る濃厚なチョコレートケーキを口に運んだ時。
 例えば、ひんやりと肌に吸いつく絹のドレスに袖を通した時。
 あまりにも心地良くて、言葉を失う瞬間がある。溜め息しか出ない、みたいな瞬間が。

 香りにも、そのような、余計な感想を奪っていくような、圧倒的な感覚の波が押し寄せてくるものがある。それらは、自分の香りの好みに合っていることは間違いないが、単に「この香り、好み〜」というだけのものでもない。あえて馬鹿っぽい言い方をすれば、「やば!この香り、やば!」としか言葉が出てこなくなる。恐らくそんな時、自分の口は半開きになっているだろう。瞳孔も開いているかもしれない。

 そんな香りに出会えることは滅多にないが、これまで何回かそのような機会には恵まれた。それは、とても幸運な出逢いだったと思う。その中でも、一際鮮明な思い出として残っているのは、1990年代前半の、免税店でのCHANEL No.5 EAU DE PARFUMとの出逢いだ。

 それは、生まれて初めての海外旅行での一幕で、祖母が旅費を出してくれたために実現した旅行だったので、その御礼として、免税店で香水でも買ってきなさいと、親から司令が出ていたのだ。
 生まれて初めて足を踏み入れた「免税店」なる場所で、当時高校生で、化粧品カウンターも利用したことがなかった自分は、雑誌でしか見たことがない化粧品の実物を目にして、興奮した。が、何しろその時は、時間が無く、気になるもの全てを試すことは叶わなかった。
 乏しい知識と判断力で、「うちのおばあちゃんはブランド好きだから、シャネルなら外さないだろう」と短絡的に結論を出し、シャネルのブースに行った。

 そこには、No.5のオードパルファムとオードトワレが無造作に置かれ、自由にスプレーして試せるようになっていた。
 「おお、これがかの有名な、シャネルの5番というやつか」と、軽い気持ちでムエットにスプレーしたことを憶えている。ブランドには疎い自分でも、世界一売れている香水らしいとか、マリリン・モンローが寝る時に使っていると言ったらしいとか、伝説みたいな存在の香水だということは知っていた。
 が、香りを感じる直前まで、誠に失礼ながら、「どうせ臭いんだろうな」と構えていた。というのは、その時までに、所謂ビッグネームな香水を幾つか試したことがあったが、ことごとく「臭っ!」となって終わっていたからだ。今から思えば、幼く経験も少ない当時の自分は、沢山の香料が用いられて複雑に調香された香水というものに慣れておらず、鼻がびっくりしたのだと思う。その驚きを、「臭い」という表現と結び付けてしまったに過ぎない。

 というわけで、「どうせ、今の自分には理解できないだろう」とたかを括りつつムエットに鼻を近づけたのだが…
 「え、え?嘘うそ、良い匂い…」
驚きのファースト・インプレッションだった。

 苦みは強いけれど、女性的。しかも、とても官能的な、湯上がりの女性の姿が思い浮かんだ。でも、扇情的ではない。むしろ、落ち着くような…ああ、何て心地良い香りなんだろう。香水を香って、その香りから特定のイメージが喚起されたのは、あの時が初めてだったかもしれない。そして、そのイメージの中に揺蕩い、心地良さに身を任せたことも。

 その時は、祖母にお土産を買うために免税店に行ったわけなので、CHANEL No.5を購入はしたものの、すぐに祖母のもとに旅立った。そして、その後、自分のために購入しようとも思わなかった。ちなみに、大学生になって、生まれて初めてバイトをして、そのお給料で生まれて初めてCHANELの香水を買ったが、それはNo.5ではなく、ALLUREだった。自分がNo.5を手に入れたのは、あの免税店での出逢いから約30年後だ。あまりにも憧れが強いと、自分のものにするのは畏れ多いというか、憧れのままで留めておきたいとか、そういう気持ちが働いたのかもしれない。

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