見出し画像

自己流、香りのおまじない

 そろそろ思春期の入口に立ちつつある我が子が、最近また恋に落ちたようだ。

 小さい頃から、割とオープンに異性を好きになり、気軽に好意を表明してきた子だった。
「◯◯君のことが好きだけどさ、違う学校じゃん?で、同じクラスの◻︎◻︎君のことも最近好きなんだけどさ、私はどっちを選んだらいいと思う?」
「皆、誰かに『好き』って言うのは恥ずかしいって言うけどさ、私は全然そんなふうに思わない。だって、好きって気持ちは悪いことじゃないでしょ。だから、私は堂々と『好き』って言うよ」
等の恋話に、小学生の頃、好きな男子に渡そうとバレンタインのチョコレートを用意したものの、恥ずかしくて渡せず、結局一緒にチョコレートを買った友達と交換したエピソードを持つ母としては、たじたじであった。

 そんな我が子が、「枕の中に『こういう夢がみたい』っていう絵を描いた紙を入れて寝たら、その夢がみれたんだよ」と嬉しそうに伝えてきた。
「へぇ〜そりゃあすごいね。どんな夢みたの?」
「デートした夢」
「誰と?◯◯君?」
「ちがうよ。まぁ…いわゆる二次元ってやつですか」
「二次元!?何のキャラ?」
「…これだよ」
と、先日図書室で借りてきた鬼太郎の本を指差す我が子。新しい恋のお相手は、鬼太郎であった。

 子の新しい恋については、機会があれば書きたいが、ここで私が感心したのは、みたい夢を描いて枕カバーの中に入れて寝たというくだりだ。それって、おまじないじゃん!と。
 ちなみに、私が小学校高学年の頃、女子の間で『マイバースディ』という占い系雑誌が流行っていた。そこでは、おまじないも紹介されていて、みたい夢をみるためのおまじないも載っていた気がする。懐かしいなぁ、自分もこの位の年の頃は、消しゴムに好きな人の名前を書いて、使い切ったら両想いになるとか、プロミスリングを編んだりとか、色々やってたなぁ、うちの子も、そういうことをやるような年になったんだなぁとしみじみした。

 しかし、子のやっていることを「可愛いなぁ」とか、さも自分はそういうことはとっくに卒業しましたみたいな上から目線で愛でていたが、よくよく考えてみると、今でも自分はおまじないめいたことをやっているなと思い至った。日々の、自分が持っている香水の中から一本(重ね着けする時には複数本)を選んで身に纏うこと。これは、私にとって、おまじないのような側面を持つ作業だなと。何気なく選んでいるようでも、何となくこれから自分が過ごす一日の予定を思い描いて、その予定に主観的に相応しい、しっくりきそうな一本を選んでいる。無意識のうちに、「今日が良い一日になりますように」と願いながら。
 気が滅入るような予定がある日は、もやもやした気分を晴らし、鼓舞してくれるような、黄色や橙色を連想させる柑橘系の香りを。
 何となく心も体も固くなっている、自分よ、リラックスリラックス!と思った時には、穏やかなウッディ系の香りを。
 この先より親密な関係になれたら良いなと願う異性と会う予定の前には、ベースにバニラが香るホワイトフラワー系の、自分の中でとっておきの香りを選んできた気がする。

 で、ここまで書いてきて、つくづく思うこと。こういうおまじないとか、はたまた魔法とか、そういった類のものは、自分に向けてやること。これが、効かせる秘訣だと思う。「良い夢がみられますように」「(自分の)もやもやした気分が晴れますように」「素敵な人と仲良くできますように」こういう願いなら、自分次第のことなので、自分が本当に願っていれば、叶うだろう。おまじないは、自分の願いを自覚させる、自分で自分の願いに気付くためのツールとなるだろう。

 だが、他者に向けた願いを叶えるためのおまじないは、私は効かないと思っている。もし効いたとしたら、それは他者を自分が望む方向に操っていることになるので、何かこう、黒魔術とか呼ばれるような、不快で怖い類のものに感じる。だから私は、昔からよくある「相手をその気にさせる云々」だとか、最近よく見かける文言だと「相手を沼らせる云々」だとかいう謳い文句が好みではない。そこはかとなく怖気をふるうというか不快な気持ちにさせられる。本当にそんな効果のある製品は、滅多にあるものではないし、もしあったとしたら、私はそんなものに関わりたくはない。

 自分に問うてみる。
「私は、他人を意のままに操りたいの?」
答えはNoだ。何故なら、もしもそんな願いを持ってしまったら、自分が生きる世界が、もしかしたら自分自身も他者から操られることを許すものとなってしまうかもしれないからだ。私は、その人の本意ではない方向に人を操ることも、人から操られることも御免だ。だから、おまじないは、自分の望む方向に自分を導くためにしたい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?