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私の心と体をほぐしてくれる香り〜前編

 自分の体の癖として、余計な力が入りがちということがあるらしい。そのために、特に背中の凝りがひどいことがあるようだ。これは、若い頃には自覚がなかった。「肩に力が入ってるよ」「余計な力を抜いて」「リラックス、リラックス」といったことを、折に触れて様々な人から声掛けしてもらってきたが、子どもの頃は、「力を抜いて」と言われても、力を入れている自覚は無いものだから、どうやって力を抜いたらいいのか分からず、闇雲に「力を抜いた」状態になろうとして、それまでは力が入っていなかった体の部位に力を入れてしまったりして、どつぼにはまっていた。

 大人になるにつれて、自分の状態を客観的に見る視点が備わってきて、確かに自分の体には変に力が入っていることが多いなと自覚できるようになった。そういった体の状態は心と連動していて、どうも心が緊張状態にある時に、体が硬くなるようだと気がついた。

 緊張しいの自分は、心の緊張は如何ともしがたいので、緊張状態が去った後、なるべく凝り固まった背中をほぐすようにした。肩を上下したり、腕を回したり、首のストレッチをするようにしている。というように、体の凝りについては、対処療法的に何とかだましだましやっているが、本来の問題は、きっと心の癖、知らず知らずのうちに全身に余計な力が入ってしまうほど緊張しいだというところにあるのだろう。私は今、around50と呼ばれる年代だが、こんな年代になっても、こんなに容易に緊張してしまう癖を抱え続けているとは思わなかった。中高年にもなれば、もっと堂々と生きていられるものだと思っていた。でも、この癖は、ただ年を重ねるだけで、また経験を重ねるだけで、自然と軽減していく類のものではなかった。

 そして、自分のこの強い緊張感は、子どもにも影響を及ぼしていると気付いた出来事があった。自分の子どもも、不安や緊張が外に出るタイプで、初めてのことに尻込みしがちなところがある。先日、学校でカラオケをやる機会があったが、他の人達の積極性に負けて歌えなかったと残念そうにしていたので、じゃあ、駅前のカラオケボックスに2人で行ってみようかと誘ってみたところ、嬉しそうに頷いたため、行ってみた。

 自分自身、カラオケボックスを利用するのは10数年ぶりであり、現在のカラオケボックス事情には疎かった。昔は、カラオケボックスというと、とにかく煙草臭く、服や持ち物にばっちり煙臭がついて厄介というイメージだった。うちの子どもは匂いに敏感なタイプなので、カラオケの部屋に居られないことも危惧された。最近カラオケボックスへ行ったという知人にその点を確認すると、特に臭いは気にならなかったとのことだったが、自分達が行こうとしている店舗はどうだか分からない。カラオケルームに一歩も入れず退散するというシナリオも念頭に置きつつ乗り込んだカラオケボックスだったが、フロントカウンターで早速昨今のカラオケシステムの洗礼を受けた。利用者は、店のアプリから予約をした上で、予約時間に来店する人がほとんどのようだった。これは、もしかして空き部屋が無いのでは…?と、私の不安・緊張ボルテージは確実に上がった。が、まごまごしつつ(対応してくれた店員さんが高校生位の物慣れない方で、注文システムにうといこちらへの対応に困り、立場が上らしき人を呼んだりされたので、こんな分かってない客でごめんねという罪悪感も発動)何とか部屋を確保できた。部屋は、特に臭くはなかった。

 子どもをソファに座らせ、いざ曲の入力を!ということで、私にとってはおなじみの電話帳のように分厚い曲番集を探したが、そのような本はどこにも見当たらない。そして、10数年前のカラオケを巡る記憶を総動員して、「そうだ!確か、タブレットで曲を入力してたな」ということを思い出し、再び挙動不審に部屋を見渡し、ようやくモニターの前にタブレットが置いてあるのを見つけた。

 ここまでの一連の私のあたふた感は、どうやらだだ漏れだったらしい。子どもは、硬い表情でちょこんとソファに座っていた。うっすらこれはまずいかも?と思いつつ、タブレットの使い方をざっと説明し、「自分で検索して入力してもいいし、ママがやってもいいけど、どうする?」と促したが、子どもは何の意思表示もせず、固まったままだった。「カラオケに来たら、歌いたいと思ってる曲があったんじゃないの?」再び促したが、私の口調は責めるようなニュアンスを帯びていたかもしれない。どうしてこの人は、いつも初めてのシチュエーションで固まってしまうのだろう?折角歌える場が用意され、煙草臭もせず、(私はいるが)ギャラリーもおらず、もうあとは歌うのみ!というのに、何でこうなるの!?と、私からは苛立ちや緊張感が発せられていたのかもしれない。

 子どもが固まって、私がビリビリして、それを受けて子どもはますます頑なになって固まって…いつもこのパターンじゃないかということに、ふと気がついた。そして、このパターンをそろそろ止めたいと思った。子どもが歌わないなら、私が1時間歌って終わってもいいじゃないか。10数年ぶりのカラオケを楽しめばいいじゃないか。それで子どもの緊張がほぐれるかどうかは分からないけど、今日ほぐれなくたって、「カラオケボックスとはこういう場所だ」という生の体験は、子どもの中にインプットされるだろう。それで十分じゃないか。

 そんな思いを抱きながら、私は子どもに入力の仕方をそれとなく見せつつ、『アンパンマンのマーチ』を入力した。これは、私にとって聖歌のような位置づけの曲で、歌詞を読む度に泣きそうになるが、今回は、『何が君の幸せ?何をして喜ぶ?わからないまま終わる、そんなのは嫌だ!』というところで、今の状況と重ね合わせて、ぐっときてしまった。『アンパンマンのマーチ』を妙に感動しながら真剣に、そして下手くそに歌う母を見て、子どもは噴き出した。それから少しして、モニター画面の上の方に次の予約曲名が流れた。あたらよ『僕は…』。それから子どもは、真剣に、そしてとても上手にその曲を歌った。そこからは、お互い次々と歌いたい曲を入力し、オーダーしたドリンクに口をつける暇もなく熱唱し、あっという間に一時間が過ぎた。

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