出会いたいから紅茶を買う。
最近よくみる某紅茶のCM。とにかくエモい。そして何だかあの制服を着ている女の子が自分と重なったからこのエッセイを書こうと思う。
わたしは音楽が無いと死んでしまう。これは断言出来る。そんな身体になってしまった。音楽は感情を動かしてくれるものだと思う。どんなに悲しいことがあっても音楽は励ましてくれるし、泣けない時に音楽は涙を流させてくれる。わたしの精神安定剤だ。
さてさて、問題のCMなのだが。さっきも言ったように制服を着た女の子が切ない曲第1位とも言えるあの名曲を田舎の駅で歌っているというものだ。
初めて見たのはバイトの時だった。テレビのある居酒屋なのだが、テーブルを拭いているとそのCMが流れた。なんだかぶわっと来た。
わたしが音楽を聴く時、その景色が美しければ美しいほど身体が歓喜で震え上がる。
高校生の時、満員バスが大嫌いなのと、勉強は朝派だったわたしが始めた始発バス登校。冬、家を出る5時半。耳にイヤホンをさし、マンションのエントランスの重いドアを開けて、空を見ればそこにはいつも無数の星があった。九州の都会の方に住んでいたわたしにとってそれほどの数の星を見るのは初めてのことだった。ぽつぽつとしか明かりのない薄暗い道でも恐怖を感じないほどにその空は美しくて、思わず出てしまった溜め息が白かったことは更にわたしに感動を生ませた。その時に聴いていた悲しくて切ない冬にぴったりの音楽もあって、少し油断すれば涙が出てしまいそうだった。
感動を知ってしまった夏。The田舎!のおばあちゃん家に泊まらせてもらった時、従兄弟と遊んでいると「あんた達、星がえらいキレイばい!外に出てみぃ」そう言われた。わたし達が外に出て見上げた先には壮大で、幻想的な天の川があった。現実のものとは思えない空を見て、わたしは大急ぎでスマホとイヤホンを取りに行った。頭の中にこの景色とぴったりの音楽が思い浮かんだから。今、一生に1度しかないこの時間に聴かなければ後悔すると思ったから。
人の記憶ってすぐに消えちゃう。でもわたしは音楽を通しての記憶だと忘れない。今でもあの美しい景色が目の前を塞いでいた時に聴いていた音楽を聴くと、その情景が頭に浮かぶ。「あの時は本当に綺麗だったなあ」と思う。何だか目の前にその景色が広がっているかの様。
多分こんなこと考えるのわたしだけなんだろう。もしかするとロマンチストなのかもしれない、とも思う。でもその経験をするために必要な幻想的な風景とそれにピッタリな音楽にはなかなか出会えない。いや、風景ならいけるか。ネットでもなんでもいい。美しいものが見れる場所を見つけて行くだけ。でも音楽は厳しい。この3年間、わたしの欲しい音楽にはわずか3曲しか出会えなかった。1年に1曲というペース。来年はちゃんと出会えるのかまだ分からない。奇跡が起こるといいなあ。
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