見出し画像

介護日記?

みんなが今と、これからの希望ある生活にうんと目を向けている時に、なんか水をさすようだけれど…
今頭を占領しているのは、老い方というか、呆けを何とか回避する終わり方。めちゃネガティブ^^;

あーボケて来たわー、ってつい2年ほど前までたびたび言ってた母は、実は大してボケていなかった。その後周りが、母の状態を明らかに「呆けてる」と判断してからは、決して自分が「ボケている」とは言わなくなった。
そもそも「呆け」という表現はダメで「認知症」なんだっけ…

物事をうまく処理できなくなる、全てにおいてチグハグで…「できなること」が増え、「忘れること」も増える。でも、それは、「失敗したこと」も、「かつてできていたはずなのに今はできないという事実」も忘れるということ。あどけない子供に戻っていくということ。「鈍感力」が増すということ。人の助けを時には感謝して受け入れて生きていくということ。
そうやって穏やかにこれまで過ごせていたと思う母。

今回、母は1ミリも理解していなかったけれど、実家の(処分に向けた)節目として、これまでも一堂に会したことのないたくさんの人が集まったの。お坊さんも含め、16人かな。ひ孫から、初めて会う娘の旦那さんまで…にこにこ嬉しそうにしていたのだけれど、心の中で、これは誰?あれは誰?ここはどこ?が始まっていたんだと思う。キャパを超えてたんだね。
そう、忘れることによって得たさっきまでの「穏やか」から、「不安」へスイッチが入った瞬間だったと思う。知らない人達と、「馴染みのない」場所にいる…
わたしがお風呂に入っている間、ソファでお昼寝をしていた母が目を覚ましたら、知らない男の人が、テレビを見ながらふんぞりかえってお酒を飲んでいた。「男の人」は、母とも仲良し、てっちゃんなんだけれどね。父亡き後は特に、一年の何ヶ月かは一寝食を共にし、日本中、いや世界何ヵ国も一緒に旅をした「自慢のお婿さん」だったはず…
お風呂の前で、わたしの名前を呼びながら、見たこともない、好き勝手をしている男の人がいる、って半狂乱に。その後、てっちゃんが悪者であるという主張を繰り広げた後、「ここはわたしの家ではないから帰る」と幼少期に住んでた住所を連呼して、真夜中に身支度を始める…冬用の上着にハンカチを入れただけのバッグ。「そんな昔のうちはもう無いよ」と伝えると、なんで勝手に売ってしまったのと責め、号泣。
明日弁護士さんに相談しに行こう、となだめ、ようやく寝かしつけたと思ったら、再び目を覚まし、今度は息子のバッグを抱え込んで、息子を「泥棒」と。昼間にはずっと腕を組んで嬉しそうに歩き、要らないと言っているのに、無理やりお小遣いを渡していたっけ…
翌朝。目を覚ました母はすっかり元通りで、「横浜にいつ帰るの?寂しいよ」って。一晩中、朝になったら、母が夜のこと、全ても忘れていますように祈り続けていた私。心からホッとした。しかし、これは何なんだ…

母は半狂乱の時、幸せな時間を共に過ごした亡き父のことも忘れたの。亡くなった後も、父を強く慕い続けてきたのに…

すごく考えさせられた。愛する人達との幸せな時間や思い出を失くしちゃうって、単純に残念だなぁ、って。この歳になると、いっぱい耳にするよね。家族を忘れたり、若い頃や、幼少期に戻ってしまう話。
今回の母のように、それまでの相手との歴史とは関係無く、一時的であっても、自分の気持ちに反して、その人やその人の人格まで傷つける。その結果、自分が歩んできた人生と関係なく、自分が今までつくりあげてきたものまで、傷つける。

認知症は、やはり「病気」だと思うんだよ。罹患する人に罪はないし、疎まれる理由もない。自分で選んだ訳でもコントロールできる訳でもないのに生かされる(感情がひとかけらも残っていなくてもただ医学の力で)。老いていく辛さ、死への恐怖を和らげるもの、という面もあるだろうけれど、いかにそれまでの人生を生きてきたとしても、それとは全く関係なく、想定外の最後の時期を生きることになるのは、残念だ…
何とかならないのかと、もっと言えば、老後を(みや風に)穏やかに生きた上で(そんな長くなくて良い)ポックリ行く方法ないかな…あー楽しかった、ありがとう!って思いながらね。
そんなうまいこと行かないか…

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?