松坂大輔、「平成の怪物」、最後の闘い

10月19日、「平成の怪物」こと松坂大輔が現役最後のマウンドに臨んだ。

1998年4月7日、プロ初のマウンドは、東京ドームでの日本ハムファイターズ戦。最初の打者・井出竜也を空振り三振に斬って取った。
それから23年。
海を渡って、そして日本に還って来て、これが最後となる377試合目のマウンド。
それも、プロに入って初めて袖を通したライオンズの「背番号18」のユニフォーム姿で。

いろんなシーンが思い出される。

横浜高校3年生の夏、甲子園でのPL学園との死闘。
そして決勝戦でのノーヒットノーラン。
無敗で通した横浜高校3年生の1年間。
西武、日本ハム、横浜の3球団が1位指名で競合したドラフト会議。
東尾修監督から自身の通算200勝記念ボールを手渡された時の学生服姿。
プロ初登板で片岡篤史を空振り三振に取った155キロのストレート。
黒木知宏との投げ合い。
初対戦のイチローからの3打席連続三振。
代打起用に応えるタイムリーヒット。
交流戦で甲子園の左中間に叩き込んだホームラン。
中村紀洋に打たれたサヨナラ3ランホームラン。
WBCで2大会連続優勝に導いた6勝無敗のピッチング。
MLBワールドシリーズで日本人唯一の勝利投手。

どの場面も、興奮した。
彼が先発マウンドに上がる日は、登板前からいつも心がわくわくするのである。

最後の登板に先立って引退会見に臨んだ彼は、西武ライオンズの「背番号18」のユニフォーム姿で言った。
「今日という日が来てほしかったような、来てほしくなかったような思いがある」
「現時点ではスッキリしてないんです。このあと投げることになっていますし、投げてそこで自分の気持ちもスッキリするのかな、スッキリしてほしいと思います」

試合開始予定時刻の17時45分を少しすぎて、松坂大輔が日本球界復帰後、公式戦では初めて、メットライフドームのマウンドに上がった。
EXILEの"Real World"が響き渡る。スタンドからは9523人の視線が注がれる。
スマートフォン、一眼レフを構える者。
「背番号18」のユニフォームを掲げる者。
「松坂大輔」というタオルを掲げる者。
ただ、立ち上がって、その姿を目に焼き付けようとする者。
松坂大輔はいつものように、マウンドの後ろから捕手を見ながらプレートに登る。
プロ入りして最初の恩師・東尾修の教えを守ってきた。

北海道日本ハムファイターズの1番打者、左打席には松坂大輔の母校、横浜高校の後輩、近藤健介が立つ。
主審の岩下健吾の右手が上がり、プレイボールが宣告された。

松坂大輔がおもむろに振りかぶる。
全盛期と変わらない、どこか威厳のある、美しいワインドアップから放たれた初球は、118キロ。真ん中高めに外れてボール。
9523人が詰めかけたメットライフドームはかつてのない、水を打ったような静寂に包まれていた。
続いて、松坂大輔が投じた2球目、捕手の森友哉が外角低めに構えたミットにボールが収まる。初球と同じ118キロ。
主審の岩下健吾が右を向いて右手でジェスチャーをする。
「ストライク!」。
それを合図に大きな拍手が上がった。

3球目・117キロ、4球目・116キロと、初球と同じような球速で、高めにボールが外れる。
これで3ボール、1ストライク。
また、拍手が沸き起こる。松坂大輔の背中を押すように。

そして、松坂大輔が投じた5球目が、近藤の身体に向かってゆく。116キロ。
近藤は咄嗟に身をかわした。ボール。
近藤は一度もバットを振ることなく、四球。
捕手・森から返球を受けた松坂大輔はうつむきながら、ホームベースに背を向けて、歩いた。
ライオンズベンチから、西口文也コーチが現れる。
辻発彦監督が主審に交代を告げる。
松坂大輔は、マウンドに上がってきた西口コーチとはにかんだ笑顔で言葉を交わした後、集まった内野手たちと握手を交わす。
万雷の拍手の中、松坂大輔がスタンドに向かって手を振ってマウンドを離れた。
自軍ベンチに戻る前に、一塁側のファイターズベンチに小走りに駆け寄り、脱帽し、栗山監督はじめ、コーチ・選手たちに一礼して、言葉を発した。
その後、三塁側のベンチ前で辻発彦監督とがっちりとした握手を交わし、チームメートたちと拳をぶつけあった。
こうして、日米を通じて公式戦で延べ9508人と対戦してきた松坂大輔のラストマウンドが終わった。


僕は不意に、「ウルトラセブン」の最終回を思い出していた。

M78星雲から来たウルトラセブンは地球を侵略しようとする怪獣との度重なる戦闘で疲労は限界に達していた。
ウルトラセブンの地球上の仮の姿である、ウルトラ警備隊員・モロボシダンは自分のミスで、地球を滅亡の危機に晒してしまい、自らも瀕死の重傷を負う。

M78星雲にいるセブンの上司は、病院のベッドで生死を彷徨うダンの夢枕でこう言った。
「これ以上、戦えば、おまえが死んでしまうぞ」
だが、ダンは、地球征服者の囚われの身となった仲間を見捨てるわけにいかない。
ウルトラ警備隊で一緒に戦ってきた同僚で、お互いに思いを寄せるアンヌは、病院から行方をくらましたダンを追いかけ、ついにその姿を見つける。
意を決したダンはアンヌに告白する。
「僕はM78星雲からきたウルトラセブンなんだ」
アンヌは屹驚する心を抑えて、こう言う。
「人間でも、宇宙人でも、ダンはダンじゃないの。たとえ、ウルトラセブンでも。」
ダンは答える。
「ありがとう。。。だが、僕はM78星雲に帰らなければならないんだ!」
ダンはアンヌが止めるのも訊かず、最後の変身をする。

ダンが変身したウルトラセブンが戦う姿を見る仲間にアンヌは言う。
「ウルトラセブンの正体は私たちのダンだったのよ」
「M78星雲から地球を守るために遣わされた平和の使者で自分を犠牲にしてまで、この地球のために戦っているんだわ」
「でも、もうこれが最後の戦いよ。ダンは自分の星に帰らなければならないの」

仲間たちは、戦っているウルトラセブン、いや、ダンに首を垂れる。
「モロボシ、すまなかった」
セブンはやっと思いで怪獣を倒し、あけの明星と共にM78星雲へと還ってゆく。

ダンの仲間たちは、空にその光を見上げながら、こうつぶやく。
「ダンは死んで帰っていくのだろうか。もしそうならダンを殺したのは俺達地球人だ。
奴は傷付いた体で最期の最期まで人類の為に戦ってくれたんだ。
「ダンを殺したのは俺達だ!あんな良い奴・・・」
「そんな馬鹿な、ダンが死んでたまるか!」
「ダンはきっと生きてる、生きてるに決まってるんだ!遠い宇宙から俺達を見守ってくれるさ!そしてまた、元気な姿で帰って来る!」


ラストマウンドからさかのぼること数時間前、松坂大輔は引退会見に、スーツではなくユニフォーム姿で臨んでいた。

松坂大輔はもはや「平成の怪物」ではなかった。
それは彼自身がいちばんよくわかっている。
それでも、ユニフォーム姿に「変身」して最後まで「平成の怪物」であろうとしたのかもしれない。

だが、会見で彼はいみじくも、こう言った。
「これまでは叩かれたり、批判されることに対して、なんとか力にして跳ね返そうとやってきたけど、最後は耐えられなかった。」
「心が折れたというか、受け止めて跳ね返す力はもうなかったですね」

彼にとって戦闘服であるユニフォームをまといながら、自分はもう「平成の怪物」でもなんでもない、「人間・松坂大輔」なんだ、そう宣言してマウンドに上がったのである。

「『平成の怪物』じゃなくなったって、松坂大輔は松坂大輔じゃないか」
彼を愛するファンはそう言ってくれるだろう。

だが、松坂大輔は会見でこうも言った。
「応援してもらったファンの方はもちろん、アンチのファンの方も含めて感謝しています」
彼は「人間・松坂大輔」を許さない人たちの存在を知っているのだ。

最後、松坂大輔は誰のために投げたのだろうか?
自分のため?ファンのため?自分を支えてくれた人たち、仲間のため?
それとも野球への愛のため?

「野球が好きなまま終われてよかったです」

松坂大輔が最後にマウンドに上がった動機がなんであろうと、僕は最後にマウンド上で「人間・松坂大輔」を見ることができた。
彼は最後のマウンドで、自らと闘った。「平成の怪物」という自己と。
それは、いままでのどんな場面よりも、尊い「闘い」だった。

試合後、眩い光線とファンの視線が降り注ぐ中、松坂大輔はもう一度、独りでマウンドの上に立った。
いつものように、マウンドの後方から足を踏み入れ、キャップを被り直し、腰に両手を当て、ピッチャーズプレートの前に立ち尽くし、足元に目をやった。
しばらくして、プレートの土埃を右手の指で払った後、静かにその右の掌を置いた。

松坂大輔が掌で優しく触れたプレートはまるで白い墓標のように見えた。
その姿は、自らの手で「平成の怪物」を弔っているのかのようだった。

もう何も言うことはない。

ありがとう、松坂大輔。


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