広島カープ、NPB72年ぶり同一カード3試合連続満塁弾

7月15日、16日、17日、東京ドームでの読売ジャイアンツ対広島カープの3連戦で、広島に3試合連続の満塁ホームランが飛び出した。

初戦の7月15日、2-2で迎えた延長11回表、広島の攻撃で途中出場の磯村嘉孝が二死満塁から、巨人7番手の菊地大稀が投じた初球を叩いてレフトスタンドに叩き込む今季2号は自身初のグランドスラム。
広島は6-3で延長戦を制し、今季5戦5敗と「鬼門」だった東京ドームで今季、初勝利を挙げると共に、借金を3に減らし、阪神と並んで3位タイに再浮上した。

そして、翌日の7月16日、広島はこの日スタメン6番に入った長野久義が2回、二死走者なしで迎えた第1打席で巨人先発のアンドリースから今季1号となる先制ホームランをレフトスタンドへ。
続く、3回無死満塁の場面で第2打席を迎えた長野は、巨人2番手の戸根千明から今度はバックスクリーン右に放り込む満塁ホームラン。
長野にとっては2014年9月6日、ヤクルト戦(神宮球場)以来、自身4本目のグランドスラムとなった。
広島は11-4で快勝し、5月16日以来、約2か月ぶりとなる2位に浮上した。

さらに3戦目の7月16日、今度は2-4の2点ビハインドで迎えた4回、1死満塁で投手・野村祐輔の代打として送られた堂林翔太が大仕事。
巨人2番手の鍬原拓也が投じたカウント1-2からの4球目を捕え、左中間スタンドに叩き込む、今季5号、代打逆転満塁アーチ。
堂林の代打ホームランは今季3本目で、しかも巨人戦での代打逆転満塁弾は1952年の服部受弘(名古屋軍)、1992年の青山道雄(大洋)、2014年の関本賢太郎(阪神)以来、4人目である。

この日の広島は堂林以外にも、磯村嘉孝、中村健人にもホームランが飛び出し、中京大中京高校出身者の3人がホームラン揃い踏みとなった。
結局、3試合連続の二桁安打、2試合連続の二桁得点となる10-5で大勝し、東京ドームでは2018年8月以来となる、4年ぶりの同一カード3連勝で、前日浮上した2位を守った。

NPBで「3試合連続満塁本塁打」を放ったチームは今回の広島で4度目であり、広島にとっては1991年以来、31年ぶり2度目だが、「同一カード3試合連続満塁本塁打」を放ったチームは、72年ぶりである。

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「3試合連続満塁ホームラン」を達成した最初のチームは、職業野球が二リーグ分立となった1950年、中日ドラゴンズである。

一リーグ最後のシーズンとなった前年の1949年、阪神の藤村富美男がシーズン46本塁打を放ち、前々年の青田昇(巨人)、前年の川上哲治(巨人)が持っていたシーズン最多本塁打記録の「25」を大幅に更新した。

その背景にあったのは、1948年シーズン後半から職業野球に導入された公式球と二リーグ分立である。
日本の職業野球をはじめ、それまでの公式球は質が悪く、打っても飛ばないボールであったため、「投手有利・打者不利」なシーズンが続いた。
戦前、早稲田実業高等部で選手として活躍した石井順一が家業のスポーツ用具店「カジマヤ商品本店」を継ぎ、母校の監督を務めた後、千葉県松戸市に本拠を移しボールとバットの製造を手掛ける「ジュン石井」を創業、良質なボールの自動製造にこぎつけた。
このボールによって、打球はウサギが跳ねるように飛距離が出るようになったことから「ラビットボール」と呼ばれるようになった。
職業野球では「ラビットボール」が導入された1949年シーズン途中から廃止される1950年まで、ホームラン数が飛躍的に増加した。
(ただし、日本野球連盟が意図的に「ラビットボール」を導入したかどうかについては諸説がある)

さらに、1950年、職業野球が二リーグに分立し、チーム数が一気に14チームに増えたことから、ノンプロから選手が大量に入団したことあり、投手のレベルも相対的に下がったことも相俟って、一部の強打者たちがそれまでの記録を大幅に塗り替える成績を残した。

1950年の中日ドラゴンズも、西沢道夫が46本塁打・135打点と、前年の37本塁打・114打点から増やし、杉浦清が26本塁打・96打点、杉山悟が21本塁打・63打点と、ほぼ前年並みの本数を記録した。

それを象徴したのが、シーズン終盤に飛び出した「同一カード3試合連続満塁ホームラン」である。

不名誉な記録をつくった広島カープは、この年が球団創設1年目であり、満足に選手も集められず、球団経営は火の車、さらに過酷な遠征の連続の中での出来事であった。
(一方で、広島は同じ1950年6月7日の大洋戦で1試合28安打といういまだに破られないセ・リーグ記録(同年10月17日に大洋も28安打のタイ)で、1試合22得点もチーム最多記録をつくっている)

もっとも中日の躍進は打力というよりも投手力の向上にあった。
入団2年目の杉下茂が前年8勝から27勝、投打二刀流で鳴らしていた服部受弘も前年24勝から21勝と、チーム89勝の約半分を二人で稼いだ。

しかしながら、中日は89勝44敗4引分けと、貯金を55もつくりながら、首位に9ゲームを離された2位に終わった。
「ラビットボール」の恩恵をさらに受けたチームがあったからである。
それが松竹ロビンスである。

松竹は本拠地を京都の衣笠球場に構えたものの、地方での遠征が多く、狭い地方球場を打線が味方につけた。
松竹打線は2021年シーズン終了時点で歴代最多となるチーム総得点908点、1試合平均6.63点をたたき出した。
この強力打線についたニックネームが「水爆打線」であった。
3番・小鶴誠が130試合に出場して、51本塁打、161打点で打撃二冠王という驚異的な打棒を振った。
そればかりか、4番・岩本義行が39本塁打、127打点、34盗塁、5番・大岡虎雄が34本塁打、109打点と打ちまくった。岩本と大岡は当時38歳だった。
1番の金山次郎も全試合に出場し、74盗塁と走りまくり、盗塁王を獲得した。

投げても、エースの真田重男(重蔵)が39勝でセ・リーグ初代最多勝のタイトルを獲得、江田貢一(孝)が23勝、29歳のルーキーの大島信雄が20勝、防御率2.04で、セ・リーグ初代最優秀防御率のタイトルと新人王を獲得した。

結局、松竹は98勝35敗4引分け、勝率.737で、セ・リーグの初代ペナントレースを制し、優勝。98勝は現在でもセ・リーグ記録である(NPB最多勝利は1955年の南海ホークスの99勝)。

奇しくも、中日打線に3試合連続満塁ホームランが飛び出した翌日、11月10日、松竹の優勝が決まった。


広島は7月18日、マツダスタジアムでの阪神戦が雨天中止となり、NPB史上初となる「4試合連続満塁本塁打」へのチャレンジは次の試合へと持ち越しとなった。

一方、巨人は7月18日、神宮球場での東京ヤクルトスワローズ戦、1回にヤクルトのホセ・オスナに巨人先発の菅野智之がライトスタンドに満塁本塁打を浴びたことで、NPB史上初となる「4試合連続満塁ホームラン被弾」という不名誉な記録をつくってしまった。

なお、試合は巨人が0-4の劣勢を跳ね返し、10-8で勝利し、連敗を「5」で止めている。

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