平田良介が隠れ持つ「レジェンド」級の打撃成績とは

中日ドラゴンズの平田良介が、17年間在籍したチームを離れることになった。

平田良介は1988年3月23日生まれの現在34歳だが、早生まれであるため、田中将大、柳田悠岐、坂本勇人、前田健太、秋山翔吾、大野雄大、斎藤佑樹などの「88年世代」の一学年上となる。
平田は大阪桐蔭高校では1年生から4番を打ち、2年のセンバツで甲子園初本塁打をマークすると、3年生の夏甲子園では準決勝で大会タイ記録となる1試合3本塁打、甲子園大会通算でも5本塁打を放ち、高校通算70本塁打をマークした。
長打力だけでなく、俊足・強肩も併せ持っていた。

平田は2005年高校生ドラフト1巡目で、落合博満監督率いる中日の指名を受け外野手として入団。
高卒プロ2年目の2007年シーズン終盤、外野で先発出場の機会を得た。
リーグ2位から勝ち上がった、日本ハムとの日本シリーズ、中日が王手を懸けた第5戦で、「7番・センター」で先発出場した平田は2回に日本ハム先発のダルビッシュ有から先制となる犠牲フライを放った。
その後、先発の山井大介がパーフェクト投球を続け、ダルビッシュ有との息詰まる投手戦を演じ、結果として平田の一打が決勝打となり、中日が1-0で勝利、平田は日本一に貢献した。
その後、2011年に113試合に出場、シーズン二桁本塁打(11本塁打、その後、6年連続でクリア)に到達するも、ケガや不振で離脱することが多かった。
谷繫元信監督(選手兼任)就任1年目となった2014年、平田は開幕4番に抜擢され、ようやく初の規定打席に到達すると、2015年にはベストナイン(外野手)に選出、同年オフには「第1回プレミア12」の日本代表に選出され、打率.423と侍ジャパンの優勝に貢献した。
2018年にはNPB史上68人目・73度目のサイクル安打、打率.329でリーグ3位とキャリアハイの成績を収めた。
だが、度重なる故障に加え、2021年には「異型狭心症」という病気に悩まされ、出場機会も減っていた。

平田がドラゴンズで残した打撃成績を振り返ってみよう。

平田良介、チーム17人目の「通算1000安打・通算100本塁打」

中日ドラゴンズに在籍中に通算1000安打以上を放った選手は21人いる。
そのうち、併せて通算100本塁打以上をマークしているのは17人。
平田はその17人目である。
2019年7月20日に通算100本塁打、2020年9月9日に通算1000安打に到達した。

中日ドラゴンズ打撃通算成績2022

落合博満は通算510本塁打・2371安打のうち、中日在籍時に通算210本塁打を放っているが、通算913安打で1000安打に届いていない。

ナゴヤドーム開場以降、「通算1000安打・100本塁打超え」は平田を含め4人だけ

中日ドラゴンズの在籍中だけで「通算1000安打」をクリアしている選手21人を、本塁打数で分けてみると以下の通りとなる。

中日ドラゴンズマトリックス

赤字の選手は、現役生活の中で、ナゴヤドーム(現・バンテリンドーム)が1997年のシーズンに開場してからの在籍年数がより長い選手である。

ナゴヤドーム開場以来、中日の選手で150本塁打以上を放っている日本人選手は福留孝介(196本塁打)、森野将彦(165本塁打)の2人しかいない。
100本塁打超で見ても、谷繫元信、平田良介、和田一浩の3人が加わるだけである。
立浪和義は171本塁打のうち、1997年以降に92本塁打を放っている。

すなわち、ナゴヤドーム開場以降に、中日の選手として「通算1000安打・100本塁打」を達成しているのは、谷繁元信、福留孝介、和田一浩、そして平田が4人目である。

平田、チーム6人目の「通算1000安打・100本塁打・150二塁打・30三塁打」をクリア

そして、平田良介の打撃を特徴づける記録が「三塁打」である。
現役の大島洋平、今季で引退の福留孝介、そして立浪監督の現役時代には及ばないが、チーム歴代9位となる三塁打31本を放っている。

平田の通算三塁打31本は、右打者では高木守道、杉山悟に次いで3番目であり、ナゴヤドーム開場以降、右打者で通算三塁打30本超は平田が唯一である。

中日ドラゴンズ打撃通算成績2022三塁打

そして、中日ドラゴンズの1936年から続く長い歴史の中で、在籍時に「通算1000安打、100本塁打、150二塁打、30三塁打以上」をクリアしているのは、平田を含めて6人しかいない。

中日ドラゴンズ1000安打100本塁打30三塁打

そういう意味では、平田はチームでは「レジェンド」クラスの打撃成績を収めたと言ってよい。

ナゴヤドームで記録に残る2つのメモリアルアーチ
「プロ初本塁打が代打サヨナラ本塁打」「2試合連続サヨナラ本塁打」

さらに平田にはナゴヤドームで印象的な一打、記憶と記録に残る一発がある。

前述の通り、高卒プロ2年目の2007年シーズン終盤、レギュラーに定着、日本ハムとの日本シリーズの最終戦ではダルビッシュ有から決勝打を放ち、日本一に貢献した。
プロ初ホームランまではプロ入りから100打席以上を要したが、2008年9月7日、横浜ベイスターズ戦ではプロ初ホームランを「代打サヨナラホームラン」というド派手なアーチで決めた。
これは平田がNPB史上6人目で、最年少での達成であり(20歳5か月)、その後、現れていない。

初本塁打が代打サヨナラ

平田は2011年6月4日の西武戦、翌5日のロッテ戦でNPB史上8人目となる「2試合連続サヨナラ本塁打」を放った。
これも、NPBではわずか10人しかいない。

2試合連続サヨナラ本塁打


ナゴヤドーム開場以降、チームで5人しかいない「6年連続二桁本塁打」

平田は2011年から2016年まで6年連続でシーズン二桁本塁打をマークした。
1997年のナゴヤドーム開場以降、中日の選手としては平田を含み6人、特に日本人選手では福留孝介の9年連続、森野将彦の6年連続に次いで3人しかいない(山崎武司はナゴヤ球場時代を含めると7年連続)。


チーム7人目の「サイクル安打」は、史上6人しかいない「先頭打者本塁打からの達成」

極めつけは、チーム7人目の「サイクル安打」達成だ。

2018年8月16日、ナゴヤドームでの対DeNA戦で、平田は「1番・ライト」で先発すると、自身6年ぶりとなる先頭打者本塁打を放った。
その後、レフトへの二塁打、レフトへの二塁打、ライトへの三塁打で王手を懸けた。
7回に廻った第5打席、レフト前に抜けるヒットを放ち、NPB史上68人目、73度目の快挙を達成した。
しかも、初回先頭打者本塁打からサイクル安打を達成したのは同僚だった大島洋平に次いでNPB史上6人目である。

中日ドラゴンズサイクル安打


平田良介のキャリア17年の打撃成績を振り返ってみた。

甲子園での活躍もあり右の「和製」長距離砲として期待されながら、規定打席への到達はわずか3度、シーズン本塁打数のキャリアハイは2013年の15本塁打と、物足りないところもあったかもしれない。
本拠地・ナゴヤドーム(現・バンテリンドーム)の高いフェンスに阻まれた不運もあった。
俊足の割に盗塁は多くなく、初盗塁はプロ6年目、二桁盗塁も2015年の1度だけ。
ただ、守備では2014年、2018年の2度、外野手としてリーグトップの捕殺数を記録した。


平田良介の移籍先はまだどうなるか分からないが、本人が納得いくまで現役を続けられることを祈る。

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