【プレイバック2021②】NPB12球団の「4番・サード」の成績

日本のプロ野球で「四番・サード」といえば、長嶋茂雄、掛布雅之、原辰徳らがポピュラーにした代名詞である。

現在、NPBにおける「四番・サード」の筆頭は、岡本和真(読売)と村上宗隆(ヤクルト)になるが、今季は他の球団でも「四番・サード」が台頭しつつある。
昨季、12球団の「四番・サード」の野手の成績を振り返ってみよう。

巨人 岡本和真   143試合

昨季2021年、12球団の中で143試合全試合で「四番・サード」を打ったのは、岡本和真一人だけだ。

岡本がプロで四番を初めて打った日、すなわち巨人軍の第89代の四番打者となったのは2018年6月2日、その時は「四番・ファースト」であった。
「四番・サード」に入ったのは6月7日。
結局、「四番・サード」での先発出場は2018年は7試合にとどまったが、2019年は59試合、2020年は120試合で務めた。
岡本は2021年のシーズンは後半、調子を落としたものの、全試合で「四番・サード」に座り、40本塁打、113打点で、2年連続で本塁打王と打点王の二冠を獲得した。
チームは歴史的な失速で3位に留まり、クライマックスシリーズは岡本自身も欠場し、セカンドステージでヤクルトに敗退した。
ゴールデングラブ賞の投票では村上宗隆に勝ち、2年連続で受賞を果たした。
岡本は四番打者として488試合に出場し、124本塁打は、巨人の歴代の四番打者の中で、両方ともすでに6番目である。

巨人で岡本よりも前に、シーズンで100試合以上、「四番・サード」を務めたのは、

1959年 長嶋茂雄 115試合/130試合
1960年 長嶋茂雄 126試合/130試合
1961年 長嶋茂雄 120試合/130試合
1986年 原辰徳 108試合/130試合

この二人しかいない。

長嶋茂雄は大卒1年目の1958年、8月6日のダブルヘッダー第2試合で、第25代四番打者となり、「四番・サード」で先発出場した。
この日から不動の四番となり、新人ながら29本塁打で本塁打王、92打点で打点王を獲得した(打率は.305はリーグ2位)。
1962年以降は、ホームランバッターに成長した王貞治と4番をかわるがわる打つことが増えた。

長嶋茂雄は現役引退した1974年、開幕に「四番・サード」で出場したものの、その後、四番を王貞治に譲ることになった。
10月14日の引退試合となった中日とのダブルヘッダー第2試合で「四番・サード」に入った。
直前の第1試合では「三番・サード」で、現役最後となる通算444号本塁打を放ったいたが、「四番・サード」での現役最終打席はショートゴロ併殺打に倒れた。

長嶋茂雄の四番での先発1460試合は、川上哲治に次いで巨人歴代2位だが、そのうち、ほどんどの試合を「四番・サード」で出場している。

長嶋茂雄の引退後、ポスト長嶋として期待されたのは中畑清。
中畑はサードのレギュラーを掴んで3年目の開幕直後に、「四番・サード」に座り、17試合連続で先発出場したが、試合中のケガにより離脱を余儀なくされ、新人の原にサードのレギュラーを明け渡すことになった。
(中畑は復帰後、ファーストにコンバートされた)

原辰徳は大卒プロ2年目の1982年6月4日、巨人の第48代目の四番打者となったが、この時は「四番・セカンド」で、初めての「四番・サード」は7月10日である。
その後、ウォーレン・クロマティ、中畑清らと、四番の座を競いながら、1987年まで「四番・サード」を務めたが、オフに外野へコンバートされ、翌1988年の開幕からは「四番・レフト」で出場した。

原は引退試合となった1995年10月8日の広島戦(東京ドーム)、久々に「四番・サード」に入り、現役最後となる通算382号本塁打を放って、有終の美を飾った。そのうち、255本塁打を四番として放っており、これは巨人軍の歴代の四番打者90人のうち、王貞治、長嶋茂雄に次いで3番目である。


ヤクルト 村上宗隆 136試合

ヤクルトの20年ぶりの日本一を牽引した村上宗隆は21歳で迎えた昨季、143試合で四番に座り、そのうち136試合で「四番・サード」を張った。
クライマックスシリーズ3試合、日本シリーズ6試合を含めると、岡本和真を凌ぐ。

村上は最年少シーズン40本塁打にはあと1本で及ばなかったが、セ・リーグ本塁打王は岡本和真と分け合い、打点王には岡本和真に1点及ばなかったが、シーズンMVPに相応しい活躍であった。
清原和博を抜いて、NPB史上最年少で通算100号本塁打に到達するなど、記録ラッシュの1年であった。

岡本和真と村上宗隆の「四番・サード」の覇権争いが、今季も、両チームの優勝争いに直結しそうである。

阪神 大山悠輔 93試合、佐藤輝明 11試合

昨季、同じチームで二人の「四番・サード」を起用したのは阪神だけである。
大山悠輔は2020年のシーズン、打率、打点、本塁打とも自己ベストを記録し、昨季は開幕から「四番・サード」で先発出場した。
5月2日の広島戦(甲子園)、大山は疲労を考慮されて欠場し、代わりに新人の佐藤輝明が「四番・サード」に入った。
すると、佐藤は5回に逆転となる満塁ホームランを放った。
NPB史上初、新人が四番で先発した試合で満塁本塁打を放つのはNPB史上初の快挙であった。
その後、大山が不在の間、佐藤は5月7日から19日までの10試合連続で務めた。
その後、四番は大山、ジェリー・サンズ、ジェフリー・マルテが代わる代わる務めている。

佐藤輝明は新人の昨季はライトでの先発であったが、学生時代、本職であったサードでもよい動きを見せていた。
一方、大山は春季キャンプで外野守備を練習するシーンも見られている。
今季は大山悠輔と佐藤輝明のどちらがサードに入るのか、まだ不透明だ。

1985年、阪神の日本一を牽引したのは、「四番・サード、掛布雅之」の存在だった。
掛布雅之は前年の1984年、「四番・サード」を127試合、務め、37本塁打を放って、3度目の本塁打王を獲得したが、チームは4位。
翌年1985年、レギュラーシーズン130試合、すべてで四番に座り、打率.300、40本塁打、108打点。
同僚のランディ・バースが三冠王を獲得したため、掛布は打撃タイトルこそ逃したが、四番打者として見事、阪神をリーグ優勝に導いた。
西武との日本シリーズでも6試合とも「四番・サード」を務め、第6戦では先制の3ラン本塁打、第7戦では最終打席でダメ押しとなる2ラン本塁打を打って、日本一にも貢献した。

阪神を矢野監督のラストシーズンをリーグ優勝、そして37年ぶりの日本一に導くのは、「4番・サード」の存在が欠かせなくなりそうだ。

ロッテ 安田尚憲 48試合

安田尚憲は高卒プロ3年目の2020年、7月21日の試合で初めて四番に座り、翌日7月22日に「四番・サード」で先発出場した。
87試合で四番に座った。そのうち、「四番・サード」は85試合あった。

昨季2021年は開幕から「四番・サード」に座ったが、5月27日にスタメン落ちすると、その後はブランドン・レアード、レオニス・マーティン、角中勝也に譲り、スタメン復帰後も、四番に座ることはなかった。
安田の四番での先発は48試合に留まり、そのうち、全試合でサードで出場した。

結局、安田は昨季、自己最多の115試合に出場し、8本塁打、55打点と自己ベストを更新したが、好不調にムラがあった。
先発しても途中交代が増え、規定打席に達せず、悔しいシーズンとなった。
サードには藤岡裕大というライバルがいるが、安田が「四番・サード」に固定されるようになれば、ロッテの攻撃陣に厚みが増すことだろう。


西武 中村剛也 45試合

西武は昨季、開幕は山川穂高が四番を務めたが、開幕早々、試合中に左足を痛め、戦線を離脱した。
代わって、ベテランの中村剛也が四番を務めることが増え、94試合に先発、そのうち「四番・サード」は45試合だった(それ以外はDH)。
中村以外に、四番の打順は、森友哉(1試合)、栗山巧(18試合)、外崎修汰(1試合)、呉念庭(8試合)の計6人が務めた。
中村自身は37歳で迎えた昨季、123試合で打率.284、18本塁打、74打点と復活を遂げ、特に打率では自身初のリーグベスト10入りを果たすなど、まずまずのシーズンであったが、西武は山川が復帰後も四番を固定できない苦しいシーズンとなり、42年ぶりの最下位の理由の一つにもなった。

今季20年目を迎える中村はNPB現役選手で最多となる442本塁打を放っているが、チーム史上、2番目となる978試合で四番を務めており、262本塁打を放っている。
これはチーム史上3番目で、2位の清原和博の265本塁打(1121試合)、1位アレックス・カブレラの271本塁打(810試合)に迫り、追い抜くことができるか、今季、名実ともに、「ライオンズ史上最高の四番打者」となれるか注目される。

ソフトバンク 栗原陵矢 14試合

ソフトバンクのホットコーナーは長らく、松田宣浩が務めてきた。
一方、高卒プロ7年目の栗原陵矢は昨季、143試合全試合に出場し、外野で122試合、三塁で19試合、一塁に2試合に先発出場している。
打順では60試合で四番に入った。そのうち、「四番・サード」を14試合で務めている。

栗原は打率.275、21本塁打、77打点と、打撃三部門すべてで自己ベストをマークし、四番打者としても打率.288   8本塁打という成績を残した。

昨季は22歳の砂川リチャードが9月以降だけで34試合に出場し、7本塁打を放ち、大器の片鱗を見せた。そのうち21試合でサードで先発出場している。
新生ホークスのサードのレギュラー争いは熾烈を極めそうだ。
藤本博史新監督が覇権奪還に向けて、どういう選手起用、打順を組むのか、注目である。

日本ハム 野村佑希 10試合

野村佑希は高卒プロ3年目で一軍に定着、自己最多となる99試合に出場したが、そのうち50試合で「三番・サード」を務めた。
栗山英樹監督の最後の采配となった試合を含め、「四番・サード」を務めたのは10試合。
規定打席には届かなかったものの、打率.267、7本塁打、37打点で、そのうち四番では打率.256、1本塁打、8打点という数字だった。

"BIG BOSS"新庄監督は近藤健介以外のレギュラーは白紙であることを強調しているが、高卒4年目、22歳の若き主砲が「四番・サード」の座を自ら掴み取ることができるか注目だ。

楽天 茂木栄五郎 7試合

楽天は昨季、開幕当初は四番は浅村栄斗で始まったが、5月からは島内宏明が四番に入り、101試合、務めると、自身初の打点王を獲得した。
三番を打っていた浅村栄斗が離脱した9月上旬、主に五番を打っていた茂木栄五郎の打順が繰り上がり「四番・サード」を7試合連続で務め、打率.308、0本塁打、5打点と無難にこなした。
茂木はアベレージヒッター型で四番争いの本命ではないが、今季も島内や浅村に何かがあれば、代役の「四番・サード」を務める候補にはなるだろう。

広島 林晃汰 3試合

広島の四番は、侍ジャパンでも四番を打った鈴木誠也の指定席であったが、昨季はコロナ禍の影響もあり、四番での先発出場は110試合に留まった。
代わりに四番を務めたのが西川龍馬(25試合)と、ベテランの松山竜平(4試合)、そして高卒プロ3年目、左の林晃汰である。

鈴木誠也がコロナワクチン接種による戦線離脱により、林は6月22日から4試合、四番を務め、そのうち、3試合で「四番・サード」に入った。
林はチーム史上、最年少の25歳5か月の江藤智に次ぐ、20歳7か月の若さで四番に座った。

このオフ、鈴木誠也はポスティングシステムによるMLB移籍を模索しており、離脱は避けられず、四番打者の育成が急務となっている。
林にとっては願ってもない大きなチャンスであり、チームもファンも、江藤智以来の大型三塁手の誕生を望んでいる。

中日 なし

中日の四番は、昨季、ダヤン・ビシエドが130試合を務め、他には福田永将(5試合)、アリエル・マルティネス(8試合)が座った。
ビシエドが2016年に入団して以降、四番はビシエドの指定席になっている。
「四番・サード」はこの5年で見ると、福田が2016年に2試合、2017年に3試合、高橋周平が2019年に9試合、2020年に2試合、務めただけである。

強竜打線の復活にはビシエドが四番に座ることが理想で、「四番・サード」に拘る必要はないが、サードを守る高橋周平が前後でしっかり打つことが、立浪和義新監督の1年目の浮沈のカギを握りそうだ。

DeNA なし

三浦大輔新監督1年目の昨季、前半の連敗が響いて、最下位に終わったものの、リーグ屈指の強力打線を形成した。
四番は開幕当初は佐野恵太(43試合)、タイラー・オースティン(78試合)、ネフタリ・ソト(6試合)、終盤は新人の牧秀悟(23試合)が務めた。
サードを守る宮崎敏郎が交流戦で1試合だけ四番に入ったが、このときはDHでの出場であった。

オリックス なし

昨季は、「ラオウ」こと杉本裕太郎が4月下旬以降から四番に座ることが多かくなり、101試合で四番を務め、本塁打王を獲得して大ブレイクを果たし、主に3番を打つ2年連続首位打者の吉田正尚と共に、25年ぶりのリーグ優勝を牽引した。
サードのレギュラーに定着し、ゴールデングラブ賞を受賞した宗佑磨はスピード型の選手であるため、「四番・サード」は当面、生まれそうにない。









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