店長、それ、誰のために書いてるの?

(これは、何て読むんだ。)

文章を読んでいる私の目は今、止まってしまった。決して難しい漢字にぶつかったからでは無い。ただ、理解不能な文字が目の前にあることは確かだ。

さて、今私は何を読んでいるでしょう。

子守歌とも呼べる先生の声を聴き、薄れゆく意識の中でら睡魔と闘いながらペンを動かした数学のノート?(私の数学ノートにはよくミミズが這っている)
早口な電話相手の言葉に手が追い付かず、どうにか復唱したりして時間を稼ぎながら取った、ひらがなだらけのメモ?(珍しく漢字が書いてあっても、間違っていることが多い)
宅配便の受領票にサインするとき、平らな面がなくて手のひらに乗せて書いた、ぼっこぼこに歪んだ私の名前?(配達員さんを待たせることが申し訳なくて、ついついそうしてしまう)


今挙げたものは、確かにどれも間違いではない。しかし今まさにこの瞬間、私が読んでいるものは、私のカフェの業務連絡ノートだ。

【業務連絡ノート】
キャンペーンや新商品のお知らせ、クレーム内容なんかも書かれたりする、名前の通りのA4サイズのキャンパスノート。


面倒くさがりな店長がこのノートを更新することはほとんどない。ページを1枚めくって前回書かれた日付を見てみると、もう前の日付から1か月以上も経っていることに気づく。

もう一度最新のページに戻って内容を確認してみる。

ソースの蓋を変えました。ソースの口の部分の大きさが変わってしまうため、まな板でトントンするのはやめましょう。ぼくも気を付けます。

まとめるとこんな感じ。

確かにマヨネーズなんかは、量が少なくなると出づらくなる。

急いでいるときにブシュッという音とともにマヨネーズが出ていないのを見ると、少し萎える気持ちはわからなくもない。

そして、そのときの一番早い対処法は、まな板の上でトントンと衝撃を与え、残っているマヨネーズを出口付近まで落とす方法だ。これを店長は、「まなトン」と呼ぶ。

しかしまなトンをしてしまうと、ミリ単位で調整されているソースの口が、極限まで使った鉛筆の芯のように丸っこく歪んでしまう。

よし、内容は理解できた。

誰よりもこの、まなトンを行う店長が、その行為を見直す気になったことは称賛されるべき進歩だ。

しかし問題なのはこの内容ではない。

そう、今私の頭につっかかっているのはノートに書かれているこの字だ。なんなんだこの殴り書きの小学生みたいな字は。いや、小学生のほうが字を大きく書いてくれるだけまだましかもしれない。

字が汚いことは悪いとは思わない

私も昔から字が汚いし、周りの上手い字をまねて書いても、何かバランスの悪い字になる。きっと私の字を見た人はみんな一律に「ああ、この子はセンスがないんだな」と思うだろう。

しかし、いくら字が汚いとは言っても、読めないなんてことはそうそうない。

それこそ1番最初に挙げた、何かに追い込まれた極限状態で書いていたのなら話は別である。

そういえば、何度か店長がノートを書いている光景を見たことがあるな。いつも決まってパワプロくんが表示されたiPhoneが、ノートの隣に添えられていたのを思い出す。

(ああ、なるほど、店長はパワプロくんに追い込まれていたのか。。)

なんて納得すると思ったら大間違いだ。

別に自分のために書く字は殴り書きでも問題はない。いくら汚かろうが、困るのは自分であり、大抵自分の字は汚くてもなんとなく読めるものだ。

しかしこのノートは、パートやアルバイト、このお店に携わる総勢20人近くの人が見るものであり、決して店長の数学ノートではない。

そして店長はよく愚痴ってくる。

「誰も業務連絡ノート読まないからさあ、、」

確かに、最初のころに教わった。シフトインする前にノートに目を通してね、と。

しかし、全く更新されない、更新されてもひどく汚い字で読むのに一苦労する。こんな読み手側に全く配慮されていないノート、誰も読まなくなるのは当たり前じゃないか。

なぜ読み手の問題だとしか考えず、読ませる工夫をしないのだろう。

きれいな字は書けなくても、丁寧な字は書けるはずだ。丁寧な字も書けないなんてそれはただの怠慢であり、業務連絡ノートはただの自己満足ノートになってしまう。

丁寧な字を書くのが面倒なのかと思い、LINEで連絡したら?と聞いたこともあるが、流されてしまった。

店長は新しいことが嫌いなアナログ人間だ。

シフト表も手書き。店内に貼り紙を作るときはさすがに手書きではダメだと思ったらしく、私に頼んできた。

「こういうの無理なんだよね、、」
申し訳なさそうな表情は作り物だってことを私は知っている。この人は、そうやって懐に入り込むのが上手いのだ。

ふと思う。きっとこの先、デジタル化がますます進んで自筆で何かを伝えることはほとんどなくなるのだろう。

しかし、そういう機会が減るからこそ、相手への印象は一瞬で決まってしまう。

そのとき、不格好な汚い字の裏側に丁寧さという相手を尊重する思いを載せられたらいいな。

ノートにサインをする。名字を漢字ではなく、ひらがなで書くのは私のこだわり。その方が私っぽい。

大きな丸文字で書かれた私の名前は、他の誰よりも目立っている。

〜【エッセイ】⑨〜

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