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たくさんの願い事と祈り。

こんばんわ。
昨日、初めて伏見稲荷大社の火焚祭(ひたきさい)に行ってきました。

火焚祭
秋の収穫の後に、五穀の豊饒をはじめ万物を育てたもう稲荷大神のご神恩に感謝する祭典で、古来当社の伝統ある行事として広く知られています。
本殿の祭典にひきつづき、神苑斎場において、全国崇敬者から奉納された数十万本の火焚串を焚きあげ、宮司以下神職をはじめ参列者一同、大祓詞を奉唱して、罪障消滅、万福招来を祈ります。

※稲荷退社ホームページより引用

都会で暮らしていると、普段、燃える炎を見ることが全くありません。
燃える炎を見たい気持ちと、こういう神社での祭典を見る経験も貴重だと思い、またまた車を走らせて行ってきました。

3箇所に火を付けられた直後の煙の量は見たことがない光景だった
常時祝詞が唱えられる中、延々と火焚串が投げ込まれる。
一つ一つの串に願いと名前が書かれている。
全国から届いた数十万本の火焚串。左側にも同じ量の串があった。

レポート的なことは他のサイトにお任せするとして、今年行かせていただいた様々な神社で見た、数えきれない人々の願い事の多さに思いを馳せていました。

個人的な願望から、大切な人を思う気持ち、病気が治りますようにという祈りなど、そのような人々のデジタルの印字ではなく、手で書いた文字(想いや願い)が、燃える火の中に投げ込まれ、煙となって空へ消えていく様子に、胸を打たれました。
目に見えぬ周波数を感じる時に感じる感じ。(わかります?)

一本の木の串は何も書かれていない時は、ただの木だけど、そこに人の想いや願いが乗った時、それは別のものになると思うんだよね。
ただの布が洋服になるとか、ただの土が人が使う器になるとか。
命が吹き込まれるというか、きっと「霊」なんだろうな。
「大切にしないと」という気持ちになる。
そして、それはまた、丁寧に扱われるものと、粗雑に扱うものとでは、ただの物質だけど全く別のものになる。
人間も同じだよね、きっと。
願いや祈りも同じだよね、きっと。

石切剣箭神社では、熱心にお百度参りをされる多くの方々を見ました。
またある場所では、絵馬に書かれた膨大な数の願い事を見ました。

こんな国に生まれてたんだなぁ。半世紀の間、日本のことに興味も持たずに生きてきて、神社やお寺で何百年、もしかすると千年以上も前から脈々と受け継がれてきている伝統行事などを、全く知らずにいたんだなぁ…と
今年も反省することばかりでした。
そういうことの大切さを、家でも学校でも教えてないからね。
昔はどうやって、親から子へ、子から孫へ教えてたんだろうなぁ。

全国の神社やお寺や教会で、私たちの知らないところで、誰かがどこかで祈りを捧げ、信仰や伝統が途切れないように、脈々と受け継いでくれている方々がいらっしゃるんですよね。

外国人観光客と同じくらい、日本のことを何も知らずに約半世紀生きてきてしまったなぁ...。
村社も含めたら、本当に数えきれないほどの神社とお寺と教会が存在します。お地蔵さんの数も含めたら、いったいどれだけの年月をかけて、どれだけの人がこの日本の信仰を守り続けてきてくれたのだろう…と気が遠くなるほどです。

たくさんの外国人観光客が来られている今だからこそ、参拝の礼儀作法、ごみを拾う、後の人のことを考えて行動する、譲り合う等、「日本人として」お手本を見せたいものです。

あの、たくさんの観光客に「あなたの神様と日本のここの神様、同じだよ」ってことが分かるようになった時、世界はもっと平和になるかなぁ...。

分裂がなくなって、分断がなくなって、皆が生きてることに感謝できるような、皆が笑って暮らせる世の中になりますように。

今日も最後まで読んでいただきありがとうございました。
また、明日ね。 ~祗是未在 (ただこれみざい)~




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