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うどんジンギス

「道外の人は食卓に頻繁にでないんでしょ?」
「うん」
「どこでジンギスカン食べるの?食べないの?」
「北海道に来るまでジンギスカンは食べたことなかったな〜専門店に行かないと食べられないからなぁ」
「えーなんで?こんなにラクなのに!こんなに美味しいのに!なんで?」
「売ってないからだよ」
「売ったらいいのに!」
「配送コストがかかるでしょ?きっと売ってるよ。こんなに安くはないけど。」
「そうか、こんなに気軽に手に入らないのか。」

今までにこの会話は3回くらいした。
夫はきっと「何度もしつこいな」と思っているに違いない。

わかってはいるが、生粋の道産子である私にとって道外で気軽にジンギスカンを食べられないことは想像できない。

仲の良い友達で頻繁にディズニーランドに遊びに行く約束をするという小学生。
そのへんをちょっと掘ったら石油が出てくるアラブ。
おじいちゃんの若かった頃。
想像できない世界だ。本当かよ。

道民が気軽に食べるジンギスカンはほとんどが冷凍だ。時間がなくて面倒な時、冷凍庫から取り出し10分くらいで解凍し、もやしや玉ねぎと共に火にかける。

グツグツしてきたら、うどんも入れる。そうするとうどんすきのようなうどんジンギスが出来上がる。これが最高だ。
ただ、白米を食べるのだからここにうどんを入れるということは、炭水化物を食べる為に炭水化物をおかずにする光景が広がるということになる。
健康に気を遣う母親としては迷う。グググ。

食べ盛り働き盛りの者たちがいる我が家にとっては、食費についても真面目に考えなければならない。
炭水化物に炭水化物を食べ、栄養を偏らせた上、そんな物入れなくてもただでさえごはんがすすむくんなジンギスカンなのに、うどんを入れる。
その行為は贅沢だ。だから贅肉もつく。
うどんジンギスを出すということは、家族の健康を損なうかもしれない食事を後ろめたさと一緒に食卓に出すことになる。
しかもそれを率先してバクバク食べ、子供の見本として存在し、それを子ども達はまた道民として後世に語り継いでいくことになる。
果たしてそれは正しいことなのだろうか。

人間の五感というものは時に人の記憶を呼び起こし、運命を変える。
私はグツグツしてきたジンギスカンの前でフラッシュバックした。
前回食べたうどんジンギス。
前々回食べたうどんジンギス。
あの時食べたうどんジンギス。
テレビで見たうどんジンギス。
子供の頃食べたうどんジンギス。

うどんジンギスは麻薬なのではないか。匂いを嗅いだだけでフラッシュバックさせ、罪悪感や後ろめたさと共に食すことになる。
そしてまた今日の日のことを思い出し、フラッシュバックの元になる記憶をどんどん増やしていく。こわい。うどんジンギスこわい。

私は誘惑に負けフライパンにうどんを投入した。
ジンギスカンの汁でほぐし、そこそこジンギスカンの汁を吸ったうどんと肉ともやしの隙間にコレステロールも追加した。卵を割り入れたのだ。

ジンギスカンのたれでポーチドエッグのようなものを作り、ジンギスカンを大皿で出す時にその卵を崩さないように食卓に出す。
それをご飯に乗せて食べるも良し。
そのトロトロの卵を肉やうどんに絡めて食べるも良し。
うまいに決まってる。

「ねね、ごはんー!ちっか、おはしー!」
単語だけの私の声に二人はすぐに返事をし、いつも通り娘は白米をよそい息子は箸を用意した。

夫は最近コンビニをはしごして探しまくったコールマンのタンブラー4つを用意し、2つに氷とビール、2つに氷と水を用意した。

娘が私に「ジンギスカンでしょ?」と聞いてきた。

「そうだよ」
「うどん入れた?」
「迷ったけど入れた!」
「やったー!」
夫も「イエーイ」と言った。

フラッシュバックは私だけではなかったようだ。

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