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水筒洗いをめぐる戦い

コロナ禍で子供が学校に水筒を持参するのが必須になった。今でも水筒持参は続いていて、水筒は私を毎日憂鬱にさせる。
何が憂鬱かって。水筒を洗うのが憂鬱。

子育てをされたことのある方ならご存知かと思うが、乳児がストローで飲み物を飲めるようになってくると大抵このタイプのストローマグを使い始める。

我が家で使っていたのはこれ、ピジョンマグマグストロー

これを洗うのがめちゃめちゃ面倒だった。小さいパーツに分かれていてスポンジでは届きにくい隙間も多いし、ストロー部分は専用のブラシが必要。乳幼児用なので衛生的に保たなければというプレッシャーや小さなパーツが水に流されてしまわないように注意したりと本当にめちゃめちゃ面倒だった(伝わりやすいように2回言いました)。
たまに小さなパーツをつけ忘れて、バッグの中でこのマグから水がひとりでに漏れてバッグの中がびしょ濡れになったというのをきっと子育てをした人なら一度は経験しているはず。
このストローマグには大変お世話になったし、このマグでお水を飲む幼い我が子の姿を思い出すと目尻も下がりかけるのだが、それよりも洗浄時の面倒くささや水漏れアクシデントが強烈に思い出され、下がりかけた目尻はすぐに元に戻るというかなんなら少し上がってしまう。

恐らくこのストローマグのトラウマがあるのか、子供達が毎日持ち帰ってくる水筒の洗浄がすごく苦手だ。
水筒はストローマグに比べれば、本体、キャップ部分、パッキン、とパーツも少ないのだけど、体感的にはストローマグの時と同じ面倒さを感じる。
水筒を洗うのは夕食が終わって食器を洗うのと同じタイミングだ。この時間までに子供達が水筒を出していない場合は、自分で洗うルールになっている。
夕食の片付けが終わって一息ついたところに大嫌いな水筒を持ってこられたらたまったもんじゃない。

ある金曜日の夜、就寝前にキッチンに行ったところ、流し台の横に水筒が置いてあった。しれーっと佇むHydro Flaskの白い水筒は上の子のものだ。
洗うもんか。絶対洗わないぞ。
強い気持ちで私は水筒を置き去りにした。
翌日土曜日、水筒は変わらず同じ場所にしれーっと佇んでいた。子供とは普通に会話を交わしていたが、お互い水筒については触れない。
翌日日曜日になっても水筒は動かなかった。水筒の中にまだ少量の水が残っているはずで、それが気がかりではあったが、私はこの戦いには勝たねばならない。ここで私が洗ったら負けなのだ。時間内に持ってこなかった方が悪いんだから。
そして月曜日の朝。
水筒は相変わらずそこにいた。そう、しれーっと。
敵もなかなかしぶとい。
登校時間まであと45分。いつも時間ギリギリで家を飛び出すあの子に水筒を洗う時間はないだろう。だからと言って私が洗ったらダメだ!負けるわけには…。
そう思いながら朝食の支度をしていた。朝食を作り終えて使い終わったものを洗っている時、突然、「いや、洗えば良くない?」って頭の中で声がした。今どうせ洗い物してるんだから、一緒にやっちゃえばいいだけ。戦いに負ける?いやいや水筒を洗ったほうが負けじゃない、洗った方が勝ちだ!と。
私は白い水筒に手を伸ばした。
水筒が動いた!水筒が動いた!(クララが立ったのテンションで)

きちんと熱湯消毒をして、中身を入れた水筒を、テーブルの子供の席の所に置いておいた。子供が起きてきて水筒を一瞥する瞬間を見計らって私は一言「勝ったと思わないでよ、あなたの負けだからね、この勝負はママの勝ちだ!」と言った。我ながら大人気ない。
子供は苦笑いしながら朝食を取り出し、ごちそうさまを言って白い水筒を持って食卓を離れた。

その夜はルール時間内に水筒が出されたので、私は嫌々ながらも水筒を洗った。
そして次の日の朝、キッチンに一枚の付箋紙が貼られていた。

洗ってくれてあざす。

今回の勝負は引き分け。

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