部屋は心を映す鏡
昨年の10月あたりから「整える」をテーマに身の回りの整理をしていた。
きっかけは、服の衣替え。
夏服をしまっていると、見覚えのない服たちが奥から顔を出した。着ようと思わなかったどころか、存在すら忘れていた。
よく見ると、自分が今年着た記憶があるのは引き出しの中の半分ほど。
もう着ないんじゃない?
引き出しをぼんやり眺める私に、もう1人の自分が囁いた。持っていた服をもう一度広げて眺めた私は呟く。
捨てよう
私はいつも、ちょっとでも後悔するかもと思ったら、置いておいてしまう。その結果が今。
たしか、去年も着ようと思わなかったものは捨てたはずなのに…
背面のいっぱいになりそうな70lのポリ袋を見て、ため息をついた。
まだ引き出しは、4つも残っている。
気を取り直して、引き出しの空いたところに詰めようと、衣装ケースから冬服を取り出す。そこに現れたのは、くたびれたセーター。
これも、捨てよう
こうして、持っている服すべての断捨離が始まった。
ゴールは、冬服と夏服がクローゼットに収まること。衣装ケースも捨ててしまおうと決める。
いっぱいになった70lのポリ袋を結んで腰に手をやると、いつか読もうと何年も寝かせてる資格の参考書や、ワインの試飲会でもらったワインリストが並ぶ本棚が目に入った。
友人に連れられて行った試飲会で配られたワインリスト。ぶどうの品種や醸造方法、ワイナリーの情報などが事細かに書かれていて、じっくり読もうと持ち帰ってから、4年が経っている。
私の部屋は、中途半端の集まりだ。
やりかけた何かや、やらなかった何か。それらは、友達が教えてくれたから、好きな人が好きだと言っていたから、誰かに自慢できそうだから。そうやって「誰か」をきっかけに集めてみたものの、手を付けられずに眠っているものたち。
そういう自分に辟易とする
誰かに好かれるための、誰かに見せるためのものではなく、今の自分が好きだと思えるもので満たしてみたくなった。
あれから3ヶ月。
自分が好きなもの、心惹かれるものが少しずつわかってきたような気がする。
また、物を捨てるのにも抵抗がなくなり、今の自分にとって必要なものなのか、思い出に執着してるだけなのかはわかるようになってきた。
自分が好きだと思うものを買う。それってすごくシンプルだけど、自由なことなんだと思う。
自分の胸の内から聞こえる声に耳を傾けられるようになって、私は自由で柔軟になった。
他人から見たら同じかもしれないけれど、今の私の方が昔の自分より好きだ。
まだまだ部屋は片付かないけれど、少しずつ自分なりの生活を整えていこう。
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