"当たり前"って怖い
この間、久々に猫カフェに行きました!
めちゃくちゃ癒された…んですけど、ちょっと感じたことを書き残してみます。
私が今まで一緒に行った人って、多分みんな猫が好きだったり動物が好きな人ばっかりだったんだなぁって。そうじゃない人と行ってみてはじめて「猫の扱いが上手な人」とか「猫が好きな人」の特徴を知ることができました。
猫は足や尻尾を触られるの嫌いだとか、いきなり後ろから触るんじゃなくて、鼻先に手を持っていって「触るよ?」って合図をしてあげた方がいいとか、そういう私にとっての当たり前が、その人には当たり前じゃない。
見ていて「かわいそう」と思うことも、知らないからできてしまう。これって怖いことだなぁって思ったんです。
でも、別に私も勉強したわけじゃないし、これがセオリーなわけでもない。
いきなり触ったら猫の身体がビクッとしたから、目を見て合図してあげるとか「怖くないよ」って知らせた方がいいのかも!と思ったり、表情を見ながらどこが気持ちいいのかなぁ~って触ったりしてるうちに、なんとなくそうするようになったんだと思う。
でも、そういう「勘」みたいなのって、動物にも人間にも向き合う時は同じ感覚かもなと思ったんですよ。
できているのかはわからないけど、私は割と相手の様子を見て、心地よくいられるようにしたいと思ってる。
だから、猫の様子を見ながら少しでも嫌がればやめるし、基本は猫が心地よく過ごせてるかが大切。
でも、その人は自分が触りたいところを触るし、猫が嫌がってる素振りにも気付けなくて…噛まれてもじゃれてるのと勘違いしてたから、嫌がってるんだよって教えてあげないといけないくらい猫の様子に鈍感だった。
それがダメだとかそういう話ではなくて、私はそれを見て自分が当たり前だと思ってやってることが、誰かを傷つけたり嫌な思いをさせたりすることもあるんだなぁって気付いたんですよね。
そもそも嫌がってそうって思うのも私の主観な訳で、余計なお世話かもしれない。
だけど、一緒にいる私はその言動をかわいそうだと思ってしまうから、また一緒に行きたいなとはならないなぁって思った。
人はそうやって「当たり前」が近い人と自然と仲良くなったり、関係が深まっていったりするのかもしれないですね。
私も言動には気を付けよう…
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