244.ケータイの前と後

本稿は、2022年4月2日に掲載した記事の再録です。

2022年3月31日をもってauの3Gサービスが終了しました。私が初めて携帯電話を持ったのは1996年(平成8年)暮れでしたから、25年と4ヶ月ほど前のことでした。一般の人々に携帯電話が普及し始めてからもう四半世紀以上も経ったのかと思うと、改めて感慨深いものがあります。

当時の携帯電話普及率は、1996年3月で約8.2%、1997年3月で約16.7%でした。有名なマーケティングの「キャズム理論」によれば、「普及率16%」を超えることが市場拡大にとって重要だと言いますが、今から振り返ると、ちょうど私が携帯電話を手にしたときは普及率は約16%でした。(普及率推移グラフはこちら

「キャズム理論」とは、人々を①2.5%の革新者(Innovators)、②13.5%の初期採用者(Early Adopters)、③34.0%の前期追随者(Early Majority)、④同じく34%の後期追随者(Late Majority)、⑤16%の採用遅滞者(Laggards)の5タイプに分け、新商品や新サービスが市場浸透していく際に、①②と③④⑤の間には大きな溝(キャズム)があると言うものです。

私の最初の携帯電話は、黒い棒のようなデジタルムーバPというシリーズでした。携帯電話本体からアンテナをひっぱり出して通話する機種でした。当時勤務していた会社から仕事兼プライベート用に貸し出されました。会社から携帯電話を支給されたということに、なんだかようやく一人前のビジネスパーソンの扱いを受けたようで嬉しかったことを覚えています。

あの頃、docomoはまだDoCoMoと表記されていました。まだメール機能もなく単なる持ち運び可能な電話でした。当時は電波もまだ不安定で、地下や地下鉄車内はもちろん出張で地方に出るとあちこちで電波が繋がりませんでした。それでも無線で必要な連絡を受けることができるというのは画期的なことでした。

あの時に割り振られた電話番号は当時の勤務先の会社を退職したのちも、個人で譲り受けて今も使っています。25年間というのはどんな電話番号よりも、今住んでいる家の住所よりも長く、この番号を使い続けてきたことになります。

その後、私が携帯電話を使い始めて2年と少し経った1999年に「i-mode」サービスが開始されました。私の黒い棒のようなデジタルムーバPの電池の具合が悪くなったため、4月に新機種に変更してもらうことになったのですが、それがD501iという機種でした。メタリックピンクの可愛らしい電話機でした。

初めて手に取ったとき、待ち受け画面が大きくしかもカラーになっていたことに驚きました。待ち受け画面には赤いチューリップのイラストが描かれていて、月が変わったら鯉のぼりのイラストに変わりました。この「i-mode」というのは、インターネットにも接続できて、メールの送受信もできるというものでした。

その頃の私は知りませんでしたが、1999年3月の携帯電話普及率は、キャズム理論16%の2倍を超える32.8%になっていて、いわゆる③の前期追随者の半数も携帯電話を手にしていました。その後携帯電話は物凄い速度で人々の暮らしに浸透していき、これまでのさまざまな習慣を変えていくことになりました。

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携帯電話が普及するまで、待ち合わせというのは場所と時間をきちりと決めて行うものでした。恋人とのデートはもちろん、友人知人、仕事相手、とにかく誰と待ちわせするのも一旦家を出たらもう相手とは連絡がつかないのが普通でした。

駅の改札口には必ず伝言板があって、そこには「◯◯くん、先に行っています」などという伝言がチョークで書かれていました。「六時間を過ぎたものは消します」という但し書きを見ては、六時間かぁ、どうやって六時間と決めたのだろうなどと私は人待ちをしながらよく考えていたものでした。

私の世代だと、女性は◯子とか◯江などという名前が一般的なのですが、1990年代前半のある日、日比谷駅の伝言板に、「◯香さん、先に行っています。◇菜より」という伝言を見かけたことがありました。私はそれを見た瞬間、こんな二人とも珍しい名前は絶対に同じ部署の先輩社員の二人だと確信しました。場所も渋谷や新宿ではなくオフィス街です。平成生まれなら普通の名前でも、1950年代生まれには珍しい名前でした。

時間に正確な◯香先輩が遅刻とは一体どうしたのだろうか、途中で具合でも悪くなったのでないかと心配しながらオフィスに戻ると、◯香先輩は社内にいました。伝言板の話をしたら今朝はずっと社内にいたし、心当たりはないので違う人だろうと言います。◇菜先輩も途中から加わっておもしろがっていましたが、でも◯香と◇菜の組み合わせがオフィス街にそう多くいるとは思えず、なんだかキツネにつままれたような気分になりました。

伝言板にはよく行き先のお店の名前や電話番号なども書き込まれていましたが、その伝言は、その場を通る全員の目に触れるわけですから、個人情報が云々という今の時代では信じられないほどの開けっぴろげの伝言でした。特に少し珍しい名前の持ち主にとっては困ったことだったでしょう。

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私ももちろん数えきれないほど駅の改札口やハチ公前で待ち合わせしてきましたが、携帯電話が普及するまではよく馴染みの喫茶店で待ち合わせをしたものでした。あの頃は大抵喫茶店にはマッチがあって、タバコを吸わない人でもマッチをひとつもらって、そこに印刷してある電話番号をメモして、電車の事故などがあれば少し遅れるなどの連絡を入れていました。私のアドレス帳(←もはやこれも死語!)にも、いくつかの行きつけの喫茶店の電話番号が記入してありました。

喫茶店では、よく「◯◯様にお電話です」と呼び出しがありました。店内のピンク電話が鳴ると、「あ、俺、俺!」などと言って、お客さんがいきなり受話器を取って話し出すなどということもありました。大きなホテルのロビーなどでは、ベルボーイが「◯◯様」と書かれたプレートを恭しく捧げ持ちながらベルを鳴らして歩いている姿を見かけたものでした。

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また、待ち合わせで喫茶店に負けず劣らず利用したのが書店でした。仲の良い友人だと「仕事が終わったらね」などとゆるく待ち合わせして、本屋さんで立ち読みをしながら待ちました。懐かしい書店が次々に目に浮かびますが、中でも思い出深いのは、六本木の交差点にあった誠志堂の2階や、小田急線の代々木上原の駅前にあった幸福書房です。どちらももうなくなってしまいました。

書店の思い出では、大学生の頃、新宿の紀伊國屋書店で待ち合わせの立ち読みをしていたら、いきなり震度4の地震がやってきて店内が騒然とした時、ふと目を上げると、九州に住んでいる従姉妹が目の前に立っていて、揺れながらも2人で偶然の再会を喜び合ったなどということがありました。脱線ですが、この従姉妹とはこの時以外にもスイスのチューリッヒでばったり出逢ったことがありました。

携帯電話の普及と共に、待ち合わせの立ち読みまでが消滅することになろうとはまったく想像もしていませんでした。しかし我が身を振り返ると、待ち合わせの立ち読みと携帯電話の普及は間違いなく反比例の関係にありました。

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もうひとつ大きな変化には、人々の生活から新聞が姿を消したことでしょう。携帯電話が登場するまでは、朝の通勤電車で少なくとも半数以上の人々は新聞を読んでいました。今では一車両に数人も見かけません。

ニュースはネットでみるものという感覚はもはや普通になりました。マスメディアの役割のひとつに「議題設定機能(アジェンダセッティング機能)」があると言われてきました。しかし、個々の人々が自分の関心事だけを検索してニュースを読むようになりマスメディアの役割も大きく変化しました。

私も家で新聞を取らなくなって久しいのですが、それでもたまに実家に帰った時などに紙の新聞を手に取ると、活字の大きさや紙面の割り付け方でニュースバリューを知ることができ、自分がいつのまにかネットニュースの同じ活字の大きさに慣れていたことに気づかされます。かつてはニュースのプロフェッショナルが何を知るべきかを示してくれていたのだと改めて感じます。

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さらに、写真に関する概念も大幅に変わりました。今では当たり前のようにケータイやスマホにはカメラが付いていることを不思議に思う人はいませんが、携帯電話にカメラが搭載されたのは、2000年11月に発売されたシャープのJ-フォンでした。ほぼ全員がカメラを日常的に携帯するようになって、写真そのものはもちろん、メモの概念すら変えていきました。

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私がいくつかの二つ折りの携帯電話を経てiPhoneを手にしたのは2012年のことで、iPhone4Sが私の最初のiPhoneでした。iPhoneやスマートフォンが人々の生活に浸透するのも速く、世界に先駆けて画期的だった「i-mode」もガラパゴス的な進化呼ばわりされていきました。

2012年のスマートフォン普及率は、総務省の統計によれば49.5%と約半数となっており、2010年の9.7%、2011年の29.3%から爆発的に普及が進んだのがわかります。周囲の人々がどんどんスマホに変えていく中、もうこれ以上便利にならない方がいいのではないかと、敢えて二つ折りの携帯電話を使い続けようと思っていたことを懐かしく思い出します。

改めて自分の行動を振り返ると、先に述べたキャズム理論の①②③を見送り、しばらくして世の中の人の半数がスマホに変えたのでようやく重い腰を上げました。若い頃は②と③の間で行動していた私も、50歳を過ぎると③と④との間まで行動を起こさないようになっていました。さらに歳を重ねると④や⑤になっていくのかと感じました。

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この稿では、携帯電話のことを敢えてケータイとは書かずに携帯電話と記してきましたが、実はもうこの十年ほどは、多くの人たちにとって電話機能を使うことはめっきり減りました。それどころかSNSに押されてメール機能も今ではあまり使われなくなっています。

季節の挨拶から始まる日本語の書き言葉も、ますます変化していくものと思われます。私が社会に出た頃は「手紙の書き方」という本と首っ引きでお礼状などを書いたものでした。

携帯電話もいつに間にか「携帯できるインターネット端末」の略語として「ケータイ」と呼ばれ、スマートフォンと呼ばれるようになりました。

私が子どもの頃は、第二次世界大戦を挟んで「戦前戦後」という明確な境目が社会にありましたが、今後は、「ケータイ前とケータイ後」という境目が社会にできてくるのだろうと感じています。


<再録にあたって>
現代社会においては、日本のみならず世界中で携帯電話やスマートフォンは必需品となりました。統計の取り方にもよるのでしょうが、多くの国で人口実数を越えた契約数があるようです。経済規模に関わらず多くの国の普及率は100%を上回っています。最近では「生成AI」なるものが、人類の営みを根底から変えていくようなことを小耳に挟みます。今後も世界はどんどん変化していきそうです。


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