125.郷愁のクリスマスケーキ

本稿は、2019年12月21日に掲載した記事の再録です。

銀紙で作られたお星さまをひたいにつけて、ケーキの前で満面の笑顔で写っている写真があります。2歳のクリスマスイブに父が撮った私の写真です。この時に写っているのは、チョコレートで覆われたデコレーションケーキでした。

ケーキはバタークリームが塗られていて、その上からチョコレートでコーティングされていました。ケーキの上にはピンク色のクリームでバラの花びらが、薄い緑色のクリームでバラの葉っぱが描かれており、周囲には白いバタークリームが波のように描かれていました。

バラの花の脇には、マジパンで作られたサンタさんがいて、ひいらぎの葉が飾られていました。"Merry Christmas" とかかれたチョコレートのプレートものっていました。さらにところどころにアラザンと呼ばれる銀色のまるい飾りがキラキラしていました。

カットする際には包丁を十分に温めてから切らないと、チョコレートが割れてしまう恐れがありました。丁寧に切ってお皿にのせると、断面はスポンジケーキが2段になっていて、スポンジの間にはアンズのジャムが薄く塗られているのが見えました。年に一度の夢のような時間でした。

子どもの頃のケーキは、いつもバタークリームのケーキでした。チョコレートコーティングされていてもいなくても、デコレーションケーキといえば、それは自動的にバタークリームのケーキを意味しました。お誕生日の時も、クリスマスの時も、私の家では駅前のケーキ屋さんで父が買ってきてくれました。

ケーキが切り分けられる時、ピンクのバラのところがいいとか、チョコレートのプレートが欲しいとか、あれこれ望みがありました。


小学校3年生、1968年のクリスマスの時には、我が家に初めてアイスクリームケーキが登場したのを覚えています。それまでケーキは四角い箱に入っていましたが、アイスクリームケーキは帽子が入っているような丸い形をした、発泡スチロールの入れ物に入っていました。

蓋を開けて、ドライアイスからもくもく煙が出てくる時はものすごくわくわくしましたが、味は普通のケーキの方がおいしかったので来年はまたいつものケーキにしようねということになりました。

初めて生クリームのデコレーションケーキが我が家に登場したのは、アイスクリームケーキの翌年か、その翌年くらいのことでした。これまで極上のご馳走だと思っていたバタークリームケーキよりも、生クリームがたっぷりとのっているデコレーションケーキの方にあっという間に心が奪われました。

12月。真冬だというのにイチゴがたくさんのっていて、すぐにトリコになりました。私の記憶の中では、駅前のお店で売っているクリスマスケーキの主流がバタークリームから生クリームにシフトするのに3年はかからなかったと思います。イチゴの温室栽培が飛躍的に発展したという背景もあったのでしょう。確かにこの頃から野菜や果物の「旬」の時期は次第に薄れ、夏野菜も冬野菜も一年中スーパーマーケットの棚に並ぶようになってきました。

高校生から大学生にかけては、生クリームのケーキ自体も中身が変化していきました。それまでケーキといったらスポンジが主役で、クリームはあくまで脇役に過ぎませんでしたが、次第にクリームが主役の座を奪っていきました。

ケーキの断面も、2段重ねのスポンジケーキの間にアンズジャムという時代から3段重ねになり、そのうちジャムの代わりにクリームが塗られ、さらにクリームに黄桃などの缶詰のフルーツが入り、そのうち生のイチゴも混ざるようになってきました。そしてこの傾向はどんどん加速され、スポンジケーキ自体もどんどん薄くなり、ついにスポンジケーキは土台の部分だけになっているケーキも登場してきました。

大学生の時に、私が両親を喜ばせようと当時の「最新のケーキ」を買っていったら、父に「なんだ食べるところないじゃないか」と言われ、父にとってはあくまでもスポンジ部分が主役なのだと気づかされたことがありました。


駅前のケーキ屋のおじさんは、いつも頭にコックさんがかぶるような長細い白い帽子をかぶって、お店の奥でケーキを作っていました。ケーキがたくさん並んだ売り場のケースのすぐ上には、全国洋菓子技術大会というような名称のコンクールで優勝した時の表彰状が飾ってありました。確か厚生省とか労働省とか文部省とか、そういう中央省庁の大臣名が書かれていました。

私は、ただの顧客に過ぎませんでしたが、そういう名店のケーキを買えるのはちょっと誇らしいような気持ちでした。小さい頃から、家族のお誕生日とクリスマスには毎年登場していて、我が家の歴史と共にありました。変な表現ですが「かかりつけのケーキ屋さん」だったのです。

けれども、大学生の頃に「当時の最新のケーキ」を都心のお店で買うようになってから、次第に駅前のケーキは随分と古臭く感じるようになっていきました。改良されたとはいえ、スポンジケーキが主流でマジパンやアンゼリカがのっているケーキは、都心のオシャレで洋酒がアクセントになっているようなケーキに比べると、見た目も味も明らかに見劣りがしました。ケーキ屋さんもパティシエなどと呼ばれる時代になり、私もいつしか足が遠のいていきました。


昭和から平成に変わる頃、駅前の風景がいつの間にか変わっていて、我が家の「かかりつけのケーキ屋さん」はコンビニエンスストアに姿を変えていました。ある時、母が道でばったりケーキ屋さんの奥さんにお会いしたら閉店の理由を話してくれたそうです。

他のどの職人もそうだろうけれど、ケーキ屋さんも早朝から仕込みをして、従業員を雇って、朝から晩まで立ち続けの仕事です。ところがそうして重労働して得られるお金よりも、店の場所をコンビニに貸す賃料収入の方がよっぽど多いということでした。時はバブル景気に沸いていました。30年以上立ちっぱなしで働いてきた老夫婦も年を取り、ケーキの流行もすっかり変わってしまったので廃業を決めたということでした。

還暦を迎え、今年のクリスマスケーキはどんなのがいいかな?と思った時、最初に思い浮かぶのは子どもの頃父が買ってきてくれた、バタークリームのケーキです。ピンクのバラの花びらや、銀色の丸い玉が蝋燭の光を受けて輝く素朴なケーキが懐かしくてなりません。郷愁のクリスマスケーキです。


<再録にあたって>
何年か前に、たまたま出かけた町の通りを歩いていたら昔ながらのケーキ屋さんがあって、店先を覗いてみたら「懐かしのバターケーキ」があったので今度のお誕生日のケーキはここのお店にしようと決めました。

半年ほどして、電話で予約もして、自分のお誕生日ケーキをわざわざ電車を乗り継いで取りに行ったことがありました。

食べてみると、懐かしさが口いっぱいに広がり、なんとも言えない味が口から鼻腔に抜けました。おいしさの秘密であると同時に、生クリームケーキにその座を奪われた味でもありました。

プルーストのマドレーヌを引き合いに出すまでもなく、味や香り、それに音楽は瞬時に時を超えて人を昔に連れて行ってくれます。

またいつかと思っているうちに、気がついたらそのお店もいつのまにか閉店していました。懐かしい味を再現してくれる貴重なお店でした。


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