214.仏のストライキ’85

このところ、百貨店による60年振りのストライキがニュースになっています。私が十代、二十代の頃、つまり1970年代、80年代には、国鉄のスト権ストを始め、地下鉄や私鉄のストライキ、それに待遇改善を求める職場でのストライキが規模の大小に関わらずありました。

その頃高校生や大学生、あるいは新入社員だった私の目にストライキがどのように映っていたかというと、それは「力の弱い労働者が団結して行うストライキといえど、社会の風当たりは強く、理解されるどころか反感を買ってしまう」というものでした。

それはもっぱら当時の新聞やテレビなどの報道機関の論調によるものだったと思います。なぜなら大抵の新聞の見出しは、「混乱」「迷惑」「乗客の怒り爆発」などというものが多く、テレビのインタビューも「大企業の身分の保証されている社員だけが利用者の迷惑を顧みず、自分たちの要求ばかりを声高に主張している」「中小企業の従業員がストライキなど行おうものならば、会社自体が潰れてしまって明日から路頭に迷う」というものが多かったように思います。

私自身が通勤通学で鉄道のストライキに遭遇した時も、脱げた靴がどこかへいってしまうような大混雑の中で、周囲の大人達は「まったく迷惑千万この上ない」「一体何を考えているんだ」「早く止めろ」と、駅員に詰め寄っていました。

◇ ◇ ◇

1985年夏の終わり、今から38年前、私は日本人の友人と共に南仏旅行をしていました。私は26歳になったばかりでした。1年間滞在する予定でフランスに来て、ひと月ほど経っていました。フランス語もそれなりに操れるようになってきたところでした。アルルやアビニヨンを周り、下宿先の地方都市に帰ろうとした時、私はフランスで初めてのストライキに遭遇したのでした。

アビニヨンの駅でリヨン行きの列車を待っていましたが、なかなか来ません。リヨンで私の住む町へ向かう列車への乗換時間が10分程度しかないというのに、列車が遅れていました。フランスの鉄道は日本ほど時間に正確ではないとは思っていましたが、これは困ったことになったと思いました。

やっと20分遅れてやってきた列車に乗り込みましたが、これではリヨンで乗換える時間がありません。どうしたものかと思っていたら、車掌さんが検札にまわってきました。そこで事情を話してみると立派な口髭を生やした車掌さんは「大丈夫、大丈夫、我がフランス国鉄は正確なことこの上ないので大丈夫。心配しないで大丈夫!」と大らかに笑いました。

心配しつつもそのまま乗っていたら、列車は凄いスピードでどんどん走り、ついにリヨンに定刻通り到着しました。ホッとしつつも大急ぎで荷物をまとめて列車を降りようとしていると、さっきの口髭の車掌さんが「ほら、言った通りだったでしょ。我がフランス国鉄は時間に正確なのだよ」とわざわざ自慢しにやってきました。「そして君たちの列車は何番線のプラットフォームから出ますよ」と教えてくれたのでした。

お礼を言って、リヨン駅構内を急ぎました。リヨンは、パリに次ぐフランス第二の都市ということでしたが、どういうわけか駅の構内には人が溢れかえっていて、あちこちの通路にはまるで浮浪者のように旅行者が座り込んだり寝そべったりしていました。しかしそんな人々をよく観察している暇はなく、10分の乗り換え時間で自分たちの街へ行く列車に間に合うかどうかヒヤヒヤしながら教えられたプラットフォームへ小走りに急ぎました。

しかしながら、そこには列車の影も形もありませんでした。

◇ ◇ ◇

最初は口髭の車掌さんの言い間違いか私の聞き間違いではないかと思いましたが、列車が見当たらなくて焦っている私たちに、誰かが「ストライキだよ」と教えてくれました。え? ストライキ?! まったく寝耳に水でした。

どういうことなのかしら、と思いました。列車が定刻通りに着いたことを自慢され、車掌さんご自身が乗り換え案内までしてくれたというのにストライキとは?! なるほど、道理で駅構内に人が溢れていたのだと思いました。人々の様子からストライキは何時間も前には始まっているようでした。

フランス語では、ストライキのことを「グレーヴ(grève)」と言います。教えてくれた人も「グレーヴですよ(C’est la grève)」と言っていましたが、ここでは日本語のストライキという表現で統一したいと思います。

一体全体どうしたものかと思いました。ストライキはいつまで続くのか、動いている区間はあるのか、なんとか情報を仕入れて今後の見通しを立てなくてはと思いました。そこで駅の案内所へ向かいました。通路という通路には乗客らが座り込んだり寝転んだりしてはいるけれど、不思議と混乱しているという感じはありませんでした。

案内所へ行くと、そこには人だかりも行列もなく、係員のおじさんが二人立っていました。「すみません。ストライキはいつ終わるんでしょうか」と聞いてみました。すると係員の1人は驚いた表情で「え? そんなのわからないよ。だってストライキだから」と言いました。

私は自分のフランス語がうまく通じなかったのかと思いました。なぜなら期限が設定されていないストライキというものは、当時の私の概念にはなかったからでした。いつ終わるとも知れないストライキというものは、少なくとも日本の鉄道会社のストライキにはありませんでした。

不思議なことに、案内所には誰も文句を言いにくる人はいませんでした。皆んな粛々とそれぞれの行き先に向かっていました。

私は係員に、それでは動いている区間はないのかと聞いてみました。というのは、フランスは絵に描いたような中央集権国家なので、多くの列車はパリから各地方に放射状に出ているため、地方都市から地方都市への移動は極めて不便にできていました。そのためリヨンから直接地元へ帰る列車は今回のストライキでなくなってしまっても、パリ経由ならば帰れるかもしれないと思ったからです。

すると係員は、TGV(フランス版新幹線)なら不定期に動いているはずだから、あそこのTGV掲示板をみて、運行予定が出たらチケットを買えばいいよと教えてくれました。見ると掲示板にはまったく何の案内も出ていないので、それは何時ごろ出るんですかと聞いてみました。するとこの子は面白いことを聞くねぇという表情で「だからストライキなので誰にもわからないんだよ」と言われました。

通りすがりの人々の中には、私の方を見て、両手を開いて肩をすくめ「ストライキだからね」と苦笑いしていく人もいました。親切そうな人にこちらから「困りました」というと「でもストライキだからね」と慰められました。

私は、ストライキというものは、乗客皆んなが「迷惑だ、何とかしろ」と怒るものだと思っていましたが、フランスではまったく違いました。誰もがストライキに対して「まぁ、不便ではあるけれど、我々全員の当然の権利であるし、お互い様だよね」という連帯感のようなものが感じられました。

仕方がないので、駅構内から町へ出ました。9月の終わりでまだ日も長く、人々はリヨンの駅近くのカフェというカフェのテラスを埋め尽くしていました。多くのお客はストライキで足留めをくらった旅行者のようでしたが、私たちのように途方に暮れている様子はなく、あちこちで料理が運ばれ、グラスを重ね合わせる音や笑い声が上がっていました。

私たちは何軒かカフェを覗きましたが、どこも満席でした。「悪いね、ストライキでね」と、思わぬ特需といった様子のカフェのご主人に申し訳なさそうに告げられました。欧州の夏の遅い日暮れもそろそろやってきて、辺りが暗くなると、あちこちで嬌声が上がり楽器を弾き出す者、フランメンコを踊り出す者などが現れました。まるでストライキを口実にお祭り騒ぎを楽しんでいるようでした。

◇ ◇ ◇

結局、その日は明け方まで駅構内の地べたに座って過ごし、未明に掲示板に表示されたTGVを11フラン(およそ300円)で予約してパリ経由で帰りました。TGVは日本の新幹線と違って特急料金というのはなく、ただ座席指定券11フランを支払うだけで乗れるということもその時初めて知りました。

この時、私はストライキに対する日仏の人々の対応の違いに本当に驚きました。下宿に帰ってから周りのフランス人に話しても「あぁ、ストライキだったのね」というだけで、「まぁそういうこともあるよね」と軽くかわされました。日本だったら「えー、大変だったね、迷惑だよね、困るよね」という反応が返ってきそうなのに、ストライキを否定的に表現する人は皆無でした。

◇ ◇ ◇

そして今度は、年末年始の旅行のチケットを買いに行った時のことでした。下宿の仲間たちから、年末年始の列車の切符売り場は混むから早目に駅に行って並んだ方がいいよとアドバイスを貰っていたので朝早く出かけました。しかし、私が行った時にはすでに大行列で、出遅れたと反省しながら並んでいました。

2時間ぐらい並んで、いい加減足も痛くなってきた頃、私の3人前で突然「ストライキです!」と声があがり、窓口にカーテンが下されました。私は「え?え? どういうこと? ストライキっていきなりそんな…」と心の中で動揺しましたが、私の前後に並んでいた人々は、特に誰も何も言わずに、パッと蜘蛛の子を散らすように黙々と帰途に向かいました。

私が未練がましく窓口のカーテンの前に佇んでいたら、親切な方が「ストライキですよ」と教えてくれました。その方は優しく「(東洋から来たあなたにはストライキという制度はご存知ないかも知れないけれど)今日切符は買えませんよ、ストライキなんです。窓口の再開時間も不明ですよ」と説明してくれました。

これが二度目にフランスで遭遇したストライキでした。

◇ ◇ ◇

しかしその後、旅行や仕事でフランスに行くたびに、一体何度ストライキに出遭ったことでしょう。それはいつも突然起こりました。日常が突然分断されました。「この通りはストライキのデモ隊が通るので今から通行禁止です」「このメトロの出口は閉鎖します」と言われたことなど幾度もありました。

オペラ座にバレエを観に行ったら、「バレエダンサーのストライキで本日の公演は中止です」と言われたりもしました。郵便局のストライキのため、パリ中を手分けして仲間で郵便を配り歩くなどという経験をしたこともあります。

そして毎回毎回私が驚くのは、決して誰もストライキに対して否定的な発言をしないということです。あれほど楽しみにしていたオペラ座のバレエがストライキで中止になっても「ストライキだから」と皆んな納得しているようなのです。

その理由は、つまり日本は会社ごとの組合だけれど、フランスは産業別組合であるという日仏の「労働組合制度」の違い、また「労働者という概念」の違い、そもそも「労働そのものの概念」の違いなどが多くの識者によって指摘されているところですが、端的に言ってしまえば、誰もが皆平等にストライキする権利を持ち、実際にストライキができるかどうかではないかと私は感じました。

新卒で入社した日本企業では有給休暇を取得するのはとても肩身が狭く罪悪感がつきまといましたが、外資系企業に転職したら、誰もがみんな休暇の話題を楽しそうに口にしていましたが、何となくそれに似ているような感じがしました。

◇ ◇ ◇

フランスのストライキというと、記憶に新しいところでは2018年の黄色いベスト運動の大規模なデモ行動や、2019年の年金問題でのゼネラルストライキがありますが、私の見聞きする限りフランスのストライキでは「お客様にはご不便ををおかけします」というお詫びの言葉や「顧客の迷惑も省みず」という論調の報道はありません。こういうフランスのストライキ風景をみるたびに、異なる文化、異なる歴史、異なる社会なのだと実感します。

そういえば1968年のフランス全土のゼネラルストライキは、映画でも何度も取り上げられていたことを思い出します。ストライキはいわばフランスのお家芸みたいなものだと次第に気づいてきました。

ところで、今回の日本の百貨店のストライキで私が最も興味深く感じたのは、ストライキは教科書では習ったけれど、初めて経験するという平成生まれの若者の言葉でした。それは取材される側だけでなく、取材する方も初めてという記者もいて、光陰矢の如し、気づかない内に世代交代してしまったのかと思い、少し寂しく感じました。


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