081.接待とセクハラ

国家公務員への接待問題の報道が続きますが、私にとって接待問題で忘れられないのは、平成10年(1998年)の大蔵省接待汚職事件の際、捜査が進み大蔵官僚が逮捕されて社会が大騒ぎになっていた頃、ノーパンしゃぶしゃぶのお店の女の子たちまで警察に呼ばれたというニュースが当時勤務していた社内を駆け巡り、管理職の一人が思わず「どの子が?」と聞き返したことでした。

社内では以前から、金融機関のMOF担(大蔵省の英語 Ministry  of Finance の略称、モフたんと発音)が大蔵省の役人に「ノーパンしゃぶしゃぶ店」で接待攻勢をかけているというのは、その響きのおもしろさからも噂になっていました。

その頃は、まさかその見返りに大蔵省の検査日程を漏らしたり、幹事社選定での便宜供与を計ったり、機密情報を伝えたりしているとは、少なくとも私は想像もしていませんでした。

従業員の女性がミニスカート・ノーパンでウエイトレス業務をするというだけの単純なサービスで、お堅いことで定評のある官僚や銀行員のハートを鷲掴みにしてしまうとは、むしろ男の性(さが)を上手いこと利用した、ある意味斬新なアイデアだと私は密かに感心していたくらいでした。

しかし次から次に贈収賄事件が明るみに出て、最終的には7名の官僚の逮捕起訴、有罪判決、そして3名の自殺者をだし、さらに大蔵大臣、日銀総裁を始め大勢の要人が責任を取って職を辞し、大蔵省の解体へとつながっていきました。

それにしてもノーパンしゃぶしゃぶはよほど人気があったと見えて、当時の私の勤務先の社員も頻繁に接待で利用していました。「しゃぶしゃぶの肉質がいいので味だって捨てたもんじゃない」などという言い訳めいた話もよく耳にしました。私たち女性社員の前でも、これらの接待は仕事の一環として普通に話題になっていました。今、思い返せば、1997、8年頃は、ようやく一般社会にセクハラという言葉が認知され始めた頃だったと思います。

日本で最初のセクハラ裁判は平成元年(1989年)に提訴され、判決から5年後の平成9年(1997年)に男女雇用機会均等法に規定が設けられました。そこで初めて企業はセクシュアルハラスメントの防止に配慮する義務があるとされました。尚、施行は平成11年(1999年)4月です。ですから大蔵省接待汚職事件が明るみに出た1998年時点では、まだセクハラ防止の法律は施行されていなかったことになります。

ちょうどこの頃、私の勤務先でも人事部が慌てて「セクハラ読本」のような冊子を作成しました。実際に社内に配られてみると「『嫁のもらい手がなくなるぞ』と口にした程度でセクハラと認定されるようでは、職場で何も話せなくなってしまうじゃないか」などという意見が社内各部署から噴出するほど、職場での日常会話にはセクハラまがいの会話が溢れかえっていました。

反射的に「どの子が?」と聞き返し、その場を爆笑の渦に巻き込んだ人物は気のいいことで評判で、大勢の部下から慕われていましたが、周囲から「とにかく、これからはもうひと言も話してはなりません」と釘を刺されていました。

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男女雇用機会均等法は、昭和60年(1985年)に制定されたのち、平成9年(1999年)にセクハラの配慮義務が規定され、さらに平成18年(2006年)にも改正がなされ、この時に事業主の配慮義務から措置義務となったのだそうです。

今回の接待事件で、接待される側に女性が複数含まれていたと知って、私が最初に思ったのは「月日が流れたのだなあ」ということでした。女性相手ではまさかノーパンしゃぶしゃぶで接待ということもなかろうと思いました。国家公務員の接待問題の本質とは外れたところで、私は妙に感慨深く想いに耽ってしまいました。


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