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そろそろ総括、オレの適応障害

相変わらず、適応障害の休職、からの転身準備で、凹みを戻しつつ、自覚なき疲れを癒しつつ、ぼちぼちとやっている。

メンタル食らいかけたことは、もちろん自分だけの問題でなく環境的要因もあったのだが、間違いなく自分自身の認知態度というか気構えの問題もあったはずで、反省と改善に細々取り組んでいる。

今日は、そろそろ総括してみようかと。


要因分解

今回食らった「適応障害」は、この私が、とある職環境に適応することができず、私の心的健康バランスを損ないかけた、というものだ。

だから、この不調和な結果には、私という要素と、今回の職環境の要素が絡んでいる。

また、職環境といっても単一・均質な一個のものではなく、当然、複数の組織と多数の他者が絡んで取り巻いているものだ。

だから、私個人と、今回の環境という二者間の齟齬とも言えるし、多変数・多主体で織りなされた状況と私の間の齟齬とも言える。

あまり複雑に分解しすぎても疲れるばかりなので、ざっくりと、私の問題と、プロジェクトの問題と、組織の問題の三要素で分けてみたい。

反省①  私の問題

まずは、私個人に帰せられる反省点。

一つは、調子に乗ってたこと。自分の立場や役割を、自分勝手に誇大に捉えて越権してたし、それで反応が悪いと相手を非難していた。また、結果的に自分の手に負えなかったことを、当初は怖いもの知らずで「やれる、やったるワイ」と強気に(後から考えれば無謀に)たかくくって突っ込んでった。結果的に、根回しや支援要請も、不足や遅延してしまった。

もう一つは、プライベート含めて、孤独な環境に居てしまったことだ。フルリモートPMで仕事環境がロンリーになったのに加え、いくらか親戚が居るとはいえ、業務忙殺も相まってプライベートでもまともに打ち解ける相手を充分持つことなく過ごしてしまった。離れて過ごす家族との連絡も疎かで、結果的に自分を追い込む結果になってしまった。

反省②  プロジェクトの問題

これは私の主観から言うことなので、以下が正しい見立てと言い切るつもりはないものの、多分的を得ている。

一つは、このプロジェクトが全体的に崩壊し掛かっていたこと。そのワンピースに進行中にはめこまれた私に、既存の綻びの後始末・尻拭いが続々と放り込まれ、しかも私の参画前の約束事でそうなっていて拒んだり調整する余地がなかったこと。後釜PMのアルアルかもしれないが、押し返し交渉するにも入社間も無く人間関係も出来てない中で、なすすべが無かった。

さらに、プロジェクトオーナーもプレス型マネージメント全開タイプで、「ぶっちゃけ交渉」は何度も仕掛けに行ったが、「そこはお前の領分ということになっていて、任せてるんだから頼むわ」で終わっていたのがしんどかった。

従事した5ヶ月間にもPMクラス含め何人もメンバーが出入りしていて、一言で言えば、泥舟に、知り合いもまだいない状態で士官として載った観は否めない。

反省③  組織の問題

私の場合、プロジェクトの従属先と、組織上の従属先が別だった。

プロジェクト内に、頼れる先を作れず苦しんだことは前述の通りだが、組織においても頼れる人が居なかった。

ギブアップの1月半ほど前から、ヘルプミーを上司には出していたものの、結果的にギブアップするまでは「踏ん張れ」としてこちらが気の晴れる支援は貰えなかった、というのが私の立場からの捉え方だ。

この上司に限らず、組織文化的に非常にドライというか、官僚機構的で殺伐とした希薄な人間関係だった、というのが私の感覚だ。

結局、私は無力だった

で、結論として。「私は、無力だった」。

プライベートの人間関係が無い地に越してきて、さらに人間関係のない新しい会社に転職して早々、泥舟プロジェクトから逃げ出した前任PMが散らかしたところにPMとして後釜に座り、フルリモートかつ組織文化的にも希薄なコミュニケーション・相互扶助の状況。おまけに自分は調子に乗って「余裕じゃぼけ、ボンクラども見とけ」とばかり爆走して、それで果たせず力尽きたんだから。

今から思い返せば、かれこれ6ヶ月前に入社・アサインされた時点から早々に、「この組織、気っ風からして合わんな」「尊敬できる同志と思える勇者が見当たらん」「コミュニケーションが形式的かつ希薄だし、顔が見えん」と違和感だらけだったので、その時点で勝負付いてたんだろう。

そういう意味では、転職時にそういった組織風土を見抜けなかった、己の力量不足でもあるし、それだけ自分にとってアゲインストな環境なのに己の力を過信して突っ込んだ己の愚かさが悔やまれる。

強いて泣き言を言えば、せめて一人でも、同志を作って密に連携できていればよかった。たとえプロジェクトも、組織もアゲインストだったとしても、同志1人でも作れてたら話は違ってた気がする。

でも、そんな同志を作ることができなかった、または巡り合うことができなかったのも、また運命だったのかもしれない。今回のことで、少しは自分で自分を正見するに近づいた気もする。ちょうどミッドライフクライシスなエイジに、方向転換する良いきっかけをもらい、勉強させてもらったと位置付け、今後に活かしていきたい。

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