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聴く、って時間を捧げること

適応障害での休職〜転職で、再起の一歩手前の日々。

己の経験を肥やしにすべく、脳や心のことを学んで、明日からの足しにしようと試みてる。

今日は、学びから考えた、「聴く」について。


聴く。予断を手放すこと

しばしば、女性の話にアドバイスしちゃダメ、というけれども。

人の話をちゃんと聴く、って難しいよな、と思っている。

「そりゃ良くないね」などと評価したり、「それならこうしたら良いじゃん」と提案したり、「で、要するに何言いたいの?」と苛立って急かしたり、「分かるよ〜、だよねぇ」と同情したり。

予断を排除して、ひたすら聴く、ってのは難しい。

話聴いてほしい、を考える

他人の話を聴く、を考えると難しい。ならば、自分が誰かに話を聴いて欲しい、の方向から考えてみよう。

自分が誰かに「話聴いて」と思う時、どんな期待してるだろうか。考えたら、3種類ある気がしてきた。

  1. ただただ寄り添う

  2. 壁打ち(頭の整理のファシリ)

  3. 助言・意見聞く

そうか、話を聴いて欲しいって時にも、とうやら3パターンくらいはありそうだ。

ただ寄り添う

友達が亡くなった。やり場のない寂しさで、今日は一人で寝たくない。

そんな時は、ただ心中吐露を聴いて、黙って側に付いていて欲しい、そんな具合になるだろう。

とすれば、そばに居て、背中さするとか肩を抱くとか、身体接触の方が望ましいのかも。言葉も、「そうか…」「そうかもしれないね」「寂しいね」といった、話者の話の内容や心中を否定せずに、慮る言葉くらいだろう。

壁打ち

ゴチヤッとしてたりモヤッとしてる頭の中を、整理整頓したい時。

その時も、相手に意見を出してもらいたい訳ではない気がする。ゴチャゴチャ、モヤモヤな頭の中や感覚を、話して外に出しながら自分で吟味して、整理整頓する相方でいて欲しい。「それってこういうこと?」「それと、さっき言ってたアレは別物?」と言った、思考の整理を進められる産婆さんのような引き出す合いの手が欲しいだろう。

助言・意見聞く

話をして状況シェアした上で、相手ならどう考えるか、どうするかの助言や意見を仰ぐこともある。

この場合は、話者の方から「意見を聞いたい」「貴方ならどうする?」と明確に聞き手に意見提示を求める気がする。

聴き手目線でもう一度考える

話者目線で3パターン考えたところで、再び聴き手目線で考える。

恐らく、聴いた上でこちらの意見を出すべき時は、話者からリクエストがあるだろうということが想定できた。

逆に言えば、こちらに意見を求めてこられない場合、聴いてるこちらの意見は求められてなさそうだ、ということ。

意見を求められない場合は、相手が、ただそばに居てあげれば良いのか、頭の整理のサポーターを欲してるのかを見極めて、適切な方をやるのが良さそうだ。

で、夫婦とか恋人とか、身近で感情的な関係の場合。これは恐らく、そばにただ居て寄り添って欲しいが強めなのだろう。で、不安で混乱気味なら壁打ち行使して不安を取り除いてあげる、とかかな。

人の話聴く=命の時間を捧げる

で、良い話の聴き方は、どう聴いて欲しいのかの選択を話者に委ねるってことなのかなと。

どの聴き方するにしても、人の話を聴くと決めたときは、その時間を相手に捧げると覚悟したら良いのかなと。

逆に言えば、満足されない悪い聴き方する時ってのは、その話の時間を話者に委ねず、聞き手である自分の生産性・効率性に拘ってるときなのかなと。

しばしは、「人にお金貸すなら、帰ってこない投げ銭のつもりで出せ」などというが、話を聴くって行為も、「相手に時間を捧げて、どういう使い方するかは相手の満足するように委ねる」なのかな、と思った。

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