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プロジェクトと登山

先日、地元の数百メートルの低い山にトレッキングしてきた。
数十分で登頂し、頂上でボケッと景色を眺めて降りてきたのだが、そこで感じ考えたことを、散文的にまとめる。

簡単に言うと、プロジェクトって、ヒマラヤ登山みたいなものなのかな、という話。

まず。適応障害で休職中です。

話を進める前に、私自身のことを。10月末に、PMを務めていたプロジェクトの仕事で追い込まれ、長期離脱になっている。心療内科では適応障害の診断を受け、休職に入っている。

当初は、学習性無力感にやられまくって、中年後期を迎えつつある自分の境涯も念頭にして、自己への無価値観・無力感しか感じられず、先々への不安と恐れに苛まれていた。ここ最近はようやく落ち着いてきて、冷静な反省と将来への希望を持ち直しつつある。

そんな今の自分の立ち位置から、以下のことを考えたという次第。
ちなみに、私自身はヒマラヤはおろか、冠雪するような高山へのアタック経験はないので、ヒマラヤ登山と本当に類似点があるのか否か、正確には分かってない。

メンバー命懸けなチームワーク・相互扶助

最初に、プロジェクトも登山チームも、メンバーが命懸けでチームワークを機能させてこそ進行させられる点で共通だ、と思った。

うかうかすると、凍傷・低体温や滑落・転落で命も落としかねない登山は、パーティーのメンバーが生命を賭けて協力することで成立するものだろうと思う。

プロジェクトチームでも、私は同様だろうと思っている。プロジェクトのスポンサー・PM・リーダー・メンバーと様々なステークホルダーが居るが、プロジェクト目的の達成という大義を第一義に動かない人が混じると瓦解する。また、個の能力の発揮で貢献することだけに拘泥して、他のメンバーのペースや状況を踏まえず動いていても、結果としてその能力はチームの目的達成に寄与しない。

大義に対し、それを第一義として、様々な構成メンバーと協調協力して動くべし、と言う点で共通していると考えた。

計画と準備が不可欠だが、計画通りにいかない

ヒマラヤ登山するのに、無計画に行き当たりばったりで、着の身着のままに向かう愚か者は居ないだろう。登山計画を立て、必要なメンバー・装備を準備し、体力や体調を整え、訓練し、許認可を取り、天候やカントリーリスクを踏まえてアタックルートや季節を検討して日程予定を立てるだろう。

プロジェクトでも同様だ。目的達成までのリスクを勘案し、必要な資源を想定して揃え、人材育成や外部調達も図り、組織内外の実行承認を取る。

ところが、山の天気もビジネス環境も、計画時に思い描いた通りになることは100%あり得ないと言って良い。いわゆる「不測の事態」が大なり小なり発生して、実行時に進行させながらなんとか対処せねばならなくなる。

そういった不測の事態発生リスクを想定して、資源バッファ(余裕)をいかに持たせるか、また不測の事態に慌てふためかずに適切に対処できるか、が成否に大きく影響を与える点は、共通している気がする。

目的達成の成否・期限に拘りすぎると、死人が出る

3つ目の共通点が、1つ目とやや矛盾を感じるかもしれないが、目的達成の成否や期限に拘泥し過ぎると、死人が出かねない点が挙げられよう。

目的達成へのコミットメントは非常に重要なのではあるが、「何がなんでも」「たとえ死すとしても」とまでの絶対的こだわりを利かせてしまうと、本当に死人が出てしまいかねないのだ。

これは、企業の不祥事が絶えないことからも自明だ。売上・会社のブランド・事業の存続にこだわりすぎて、魂まで売ってしまうと、パワハラで従業員を壊してでも、あるいは顧客を騙し顧客の資産を傷つけてでも、となってしまうことがある。

山でも、登頂成功にこだわりすぎて「勇気ある撤退」「捲土重来を期して再帰を誓う」の決断ができず、アタックして還らぬ人になった例は枚挙にいとまがない。

登山パーティーも、スポンサーがついているようなケースでは、登頂断念して下山することは、苦渋の決断であるし、そのパーティーへの支援打ち切りとなってしまうリスクもあるだろう。プロジェクトも、途中断念となれば、プロジェクトオーナーもマネージャーも責任を問われるのは避けられないし、場合によってはスポンサーに訴訟を起こされ損害賠償請求を受ける可能性もある。

それでも、「生きてこそ」という絶対最終ラインを以て運営しなければならないだろう。そこが、共通している気がする。

方針決定の任務を負う者の人格が問われる

命懸けで行われ、不測の事態にも襲われ、行って地獄引いて地獄とも思える苦しい判断を行わねばならないのが、方針決定の任務を負う者の責務、と言う点も共通ではないか。

泰然自若で、視野狭窄にならずに冷静さを常に保たねば、自分だけでなくチーム全体を脅かす立場になる。「このままで大丈夫だろうか」「もしアレがああなってしまったらどうしようか」といった不測の事態に対する恐怖・不安に惑わされず、かといって起きている事態に目を背けずいち早く検知し対処せねばならない。

調子に乗って軽率な判断を下してはならず、さりとて過度に不安要素に囚われて自分の判断力を疑って立ちすくんでもいけない。

繊細でありながら、神経質であってはならない。悠然としつつも、鈍感ではいけない。非常にバランスの難しい立脚点に、自分を絶えず保ち続けながら、背中を見るフォロワーが迷ったり不安にならないようタクトを振らねばならない。

自分も、そんな人間になりたい、なれるようにと未だに憧れはするが、なかなか近づいたようでまだまだ遠いという至難の立場にも感じる。

・・・以上が、近場の低い山を登ってボケッと考えたことだ。

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