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「ひどい取材」の話

本も読まずに著者インタビュー(!)

10年以上前のことだが、マンガ家・作家のいしかわじゅん氏が、「日経BPオンライン」の連載エッセイ「ワンマン珈琲(カフェ)」で、沖縄の二大紙から受けたひどい取材について書いていた。
(「日経BPオンライン」ではすでに削除されており、書籍化もされていないようだ)

小説の新刊『ファイアーキング・カフェ』の著者インタビューを受けたところ、二大紙の記者ともその本を読まずに取材にきたばかりか、いしかわ氏が何者なのかまったく知らなかったという。

A紙の場合――。

 私の新刊をテーブルの上に置き、取材が始まった。本はジュンク堂から借りたらしい。
 しかし、どうもなんだか変なのだ。質問が的を射ていないというか、二階からシャンプーされているような妙な感触なのだ。
 私は単刀直入に聞いてみた。
「ちょっと聞きたいんだけど、きみは俺がなにをやってるどういう人間なのか、知ってる?」
 答は、もっと単刀直入であった。
「えへへへ、さっきウィキペディアで調べました」
 実に率直である。知らない人にインタビューするのは、そりゃむつかしいだろうな。

B紙の場合――。

 名刺交換をし、それから記者が質問をした。
「ええと、本をお出しになったそうですが、どういう本ですか?」
 えええーっ、下調べゼロかー!
(中略)
 彼は義務でインタビューにきただけで、私になんの興味もないし、本についても知りたいことなんてないのだ。これではインタビューにならない。
「もうやめよう。時間の無駄だし」
 私は立ち上がった。
「俺の名刺を返して」
 名刺を渡すと、記者は何事もなかったかのように普通に席を立ち、そのままカメラを肩にかけて、すたすたとエレベーターに向かって歩いていった。

わりとよくある「下調べゼロ」の取材

たまたま沖縄の新聞が槍玉に上がっているが、東京の大新聞にだってひどい取材をする記者はいる。

たとえば、評論家の呉智英氏はエッセイ集『犬儒派だもの』で、朝日の記者(文中に朝日の名は出てこないが、前後の文脈でわかる)から受けたひどい取材について書いている。

その記者は開口一番、こう言ったという。

「で、呉さんは、小説家ですか、エッセイを書いているんですか。それとも脚本家か何か」

また、小説家のエッセイ集を読んでいると、この手の「ひどい取材」ネタにときどき出くわす。「オレの本を一冊も読まずに取材にきやがった」とか、「最初から最後まで、私の名前を間違えたままの記者がいた」とか……。

ま、わりとよくある話なわけですね。

沢木耕太郎さんは、作家を取材したり文庫解説を書いたりする際、その作家の全作品を読破するという。
「プロインタビュアー」の吉田豪さんは、取材相手本人すら忘れているようなことまで徹底的に調べてインタビューに臨む。彼が書いた記事にはしばしば、インタビューイが「私のこと、何でも知ってるんですね」と驚く場面がある。

そのような「最上級の下調べ」(なかなか真似のできることではないけど)がある一方、当該書籍すら読まずに著者インタビューに臨むような拙劣な取材者もいるのだ。

下調べゼロでインタビューに臨むなんて、私にはとてもできない。相手に失礼であるという以前に、コワくてできないのである。丸腰で戦場に立つようなものだから。

それに、私には自分が口下手だという自覚があるから、「下調べくらいきちんとやらないと、まともなインタビューにならない」と考えているのだ。
だから、自慢ではないが、取材のときに「私のこと、よく調べてありますね」と言われることが多い。

私とは逆に弁の立つ記者やライターの場合、話のうまさに対する過信から「ぶっつけでなんとかなる」と思ってしまうのかもしれない。

いしかわじゅん氏に「名刺を返して」と言われた記者の、“逆ヴァージョン”のような経験もある。

それは、某大物評論家を取材したときのこと――。
取材を始めたとき、私が名刺を出しても相手は名刺をくれなかった(これはままあること。とくに芸能人の場合、本人は名刺をくれないのが普通だ)。

が、取材を進めるうち、私が相手の著書をたくさん読んでいることがわかると、彼は突然ポケットから名刺入れを取り出し、名刺をくれたのである。「コイツになら名刺やってもいいか」みたいな感じで(笑)。

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