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インタビュー記事は料理に似ている

素材がよければ手を加えなくてよい

ライターになって以来、私はどれくらいの人数をインタビューしてきたのだろう?
いちいちカウントしているわけではないが、少なく見積もっても週に1人以上、年平均5、60人はインタビューしているから、過去34年間でトータル2000人くらいへのインタビュー経験があることになるか。

その経験を踏まえて私が思うのは、「インタビュー記事は料理に似ている」ということである。

インタビューそのものは原稿の素材集めであり、料理人でいえば朝の市場に材料を仕入れに行くような行為だ。

新鮮な素晴らしいネタが手に入ったとき、料理人はなるべく手を加えず、素材のよさを活かして客に味わってもらおうとする。
ライターも、インタビューイの話そのものが素晴らしく面白かった場合には、文字起こしした文章に最低限の手を加えて見た目を整えただけで、原稿を仕上げる。これは料理人が美しい盛り付けにこだわる気分に近い。

逆に、インタビューがまったく盛り上がらず、話がつまらなかった場合には、その後の「トリートメント」の度合いを上げて、何とか記事としての格好をつけることになる。

トリートメントのやり方は、さまざまある。
たとえば、地の文を増やして相手の談話はその中にちりばめる形にすれば、ライターのテクニック次第で、どんなに盛り下がったインタビューでもそこそこ見られる記事にはなる。そこが動画のインタビューとは違うところだ。

また、相手に著書がある場合、「ご著書の内容から少し引用して補ってもよろしいですか?」とあらかじめ了解をとったうえで、その中の文章を発言の形にアレンジして不足を補ったりする。

そうしたトリートメントは、料理人が素材にさまざまな「仕事」をすること――『美味しんぼ』で海原雄山が「む! この海老、仕事がしてあるな」と言う「仕事」――に相当する。

道場六三郎型と小林カツ代型

ライターには、話の「素材のよさ」にこだわる道場六三郎のようなタイプもいれば、「素材のよさ」にあまりこだわらない小林カツ代のようなタイプもいる。

前者は、インタビューそのものがうまくいかないと記事もメタメタになってしまうタイプ。後者は、たとえインタビューがうまくいかなくても、その後の手の加え方のテクニックで、そこそこおいしい料理に仕上げてしまうタイプである。

私はといえば、明らかに「小林カツ代タイプ」のライターである(笑)。冷蔵庫の残り物を使っておいしい料理を作ってみせる。

インタビュー自体がまるで盛り上がらなかったときでも、「あんな話でよくこんな記事が書けましたねえ」と編集者を唸らせてみせる。
「インタビューイが多忙を極めていて、20分しか取材時間が取れませんが、それで3ページ8枚の記事を書いて下さい」などという無茶な注文にも、けっこう平気で応じられる。

もちろん、「小林カツ代タイプ」のライターにとっても、素材がよい(談話自体が面白い)に越したことはないのだけれど……。

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